象印 ZOJIRUSHI

第1回
東京都 中央区立日本橋小学校

夢先生は元バレーボール日本代表の山本隆弘さん!

山本 隆弘 (やまもと たかひろ)
鳥取県出身。中学時代にバレーボールを始め、鳥取商業高校から日本体育大学を経て、2001年にパナソニック・パンサーズに加入。2004 年にリーグベスト 6、2008 年には MVP とベスト 6 を受賞しました。2001 年に初選出された全日本でも長きにわたって活躍。2003 年のワールドカップでは MVP とベストスコアラーを獲得しました。世界選手権には 2 度出場。2008 年には北京オリンピックに出場しました。2012 年に現役引退を発表し、同年のシーズン終了後に V リーグ特別賞を受賞しました。

第1回「夢の教室」活動レポート

5月13日(金)、東京都中央区立日本橋小学校にて、
第1回「ZOJIRUSHIユメセンサーキット2016」が開催されました。
夢先生は、山本隆弘さんが務め、
3・4時間目(5年1組)と5・6時間目(5年2組)に
「夢の教室」を行いました。

みんなの意見を聞き、ひとつにまとめることが大切。

「夢の教室」前半35分はゲームの時間。まずはゲームが始まる前に、山本さんがスパイクを子どもたちの前で披露。勇気を持ってレシーブに立候補した子どもたちもその迫力に大興奮でした。
ゲームの時間では、目標に向かって苦戦しながらも途中で作戦タイムを取りながら、みんなで意見を出し合い取り組みました。ゲームの最後には山本さんから、みんなの意見をしっかりと聞き、顔を見て話し合い、ひとつにまとめることが大切。今日の経験を忘れずクラスみんなでひとつになって、頑張って欲しいとメッセージがありました。

運動して汗をかいた後は、しっかり水分・塩分補給!ゲームの時間のあと、みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

試合で初めて立ったコート。負けたけど楽しいと思えたバレー。

「夢の教室」後半55分はトークの時間。山本さんのこれまでの体験を話したり、子どもたちと一緒に夢について語り合いました。
バレーボール選手として日本で初めてプロ契約し、オリンピックにも出場した山本さんですが、バレーボールを始めたのは中学二年生の頃。小学生の頃は、野球部やサッカー部に所属していましたが、どれも長くは続きませんでした。中学に入ってからも当初は陸上部に所属していましたが、二年生の時に、当時部員の少なかったバレー部の友人から入部して欲しいと言われたのがきっかけでバレーを始めます。しかし、部員の少ない男子バレー部の練習は、いつも体育館のステージの上、しかも1対1での練習のみでした。迎えた新人戦。2試合行い、どちらも15対0と1点も取れずに負けてしまいましたが、初めて立つバレーコートで、みんなでバレーをできることが何より楽しく、引退までに必ず試合に勝つことを誓い、練習に励むことでどんどん夢中になっていきました。

「俺の敷いたレールに乗れ」恩師との出会い。

初めての試合以降、当時強かった女子バレー部に勝つことを目指し、「打倒女子バレー部」を目標に掲げ練習に励んだ山本さん。三年生の頃には市大会3位の成績を収めるほどに強くなりました。
また、山本さん自身も一年生の時は158㎝だった伸長が卒業する頃には192㎝まで伸び、サウスポーでもあったことから県内注目の選手として、バレーの名門高校に入学します。そしてそこで運命を変える恩師と出会います。山本さんの才能を見抜いていた監督は当時鳥取県から日本代表が出ていなかったこともあり、なんとかして代表選手にさせたいと「俺の敷いたレールに乗れ」と言い、1年生からレギュラーに抜擢。山本さんも日々の猛練習に応えることで、インターハイにも3年連続で出場し全日本ユースにも選ばれるほどの選手になりました。そして山本さんはこの頃、「いつか、オリンピックに出れたらいいな」と思うようにもなっていました。

「隆弘がオリンピックに出るところが見たかった」恩師の最期の言葉に奮起。

しかし、大学に入って2年でバレーを辞めることになります。先輩からのいじめが原因でした。
大学を辞めて社会人チームでプレーする道も模索しますが、なかなかうまくいかず、トラック運転手のアルバイトを始めました。車の運転は好きでしたが、半年ほど経ったあるとき、「自分はこのままでいいのか?こんなことでバレーを辞めてしまっていいのか?」と思い直し、大学に戻りました。戻った当初は苦しい思いもしましたが、大学卒業後はトップチームにも入り、目指していた日の丸をつけることもできました。当時を振り返り、山本さんは「志を持ち続けることができたこと。恩師や家族が背中を押してくれたことが大きな支えになった」と話してくれました。
その後、2003年にはW杯で得点王とMVP、2004年には日本人初のプロ契約と活躍を続け、アテネオリンピック出場の期待も一身に受けましたが出場は叶いませんでした。当時はバッシングも多く、引退も考えはじめた頃でした。あるとき、恩師が山本さんの試合を観に来ました。そして試合後「お前の試合を観るのはこれが最後」と言って、帰っていきました。末期の癌であったことは、しばらく経ってから知りました。恩師は亡くなる間際にも、「隆弘がオリンピックに出るところが見たかった」と語ったそうです。それを伝え聞いた山本さんは、オリンピックに「出たいではなく必ず出る」と誓い、日々努力を重ね、あきらめない心で戦い続けました。そして2008年、遂に北京オリンピックに出場。自分と恩師の夢を叶えることができたのです。
授業の最後には「志あるところに道ありき」、自分の志を忘れず、小さな目標をつくって、毎日クリアする努力をしてほしい。そしてそこにはいつも協力者や理解者がいることを忘れないでほしいと話してくれました。

「夢の教室」を終えて。〜担任の先生と子どもたちの感想〜

「夢の教室」で印象に残ったことは何ですか?
石黒先生の話を聞いて、これから夢を叶えるためにやってみようと思ったことはありますか?

北澤くん【将来の夢:医師】

北澤くん(左)木下先生(中)宮下さん(右)

山本さんの「あきらめないこと」という言葉が印象に残りました。

苦しくてもあきらめずに勉強を頑張ろうと思います。

宮下さん【将来の夢:薬剤師】

高校の恩師の方とのエピソードが印象に残りました。

毎日勉強を欠かさず、小さな目標を立ててひとつずつクリアしていきます。

木下先生の感想
ゲームの時間、最初は緊張もあったようですが、これまでの経験を通してグループで協力し目標を達成することはできると思っていたので、ゲームが進むごとに一体感をもって目標をクリアできてよかったです。
トークの時間では、夢を持つこと、あきらめずに頑張ることの大切さや、それを支えてくれる理解者や協力者がいるんだという気持ちが夢を育んでくれることなど、ご自身の経験をもとにお話ししていただき、子どもたちにとっても貴重な経験になったと思います。

渡辺くん【将来の夢:料理人】

渡辺くん(左)柊先生(中)渡辺さん(右)

高校の恩師との出会いやメッセージが印象に残りました。

料理の基本などをしっかり学んで、ひとつずつ目標をクリアしていこうと思います。

渡辺さん【将来の夢:医師】

「あきらめない心」という言葉が印象に残りました。ゲームもみんなで一緒にゴールできて楽しかったです。

とにかく日々の勉強を頑張ろうと思います。

柊先生の感想
ゲームの時間は、子どもたちの言葉を大事にしながら、目標へと自然に導き、子どもたち自身の力で到達させることがとても素晴らしいと思いました。
トークの時間では、いじめから這い上がったエピソードが心に残っています。心のダメージを精神力でカバーし、夢に向かっていく姿勢や強く持ち続けた志は、これから夢を叶えていく子どもたちにとって非常に大きな力になるお話だったと思います。ありがとうございました。

開催校について

学校の写真
平成27年度 開校25周年記念航空写真
[撮影:国際総合企画]

学校名
中央区立日本橋小学校
http://www.chuo-tky.ed.jp/~nihonbasi-es/
所在地
東京都中央区日本橋人形町1丁目1番17号
開校
1990年
児童数
335名(平成28年5月1日)
特徴
本校は、児童が人権尊重の精神を培い、地域社会の一員として、また広く国際社会において信頼と尊敬を得られる、心身ともに健康で心豊かな人間として成長することを目指し、生涯にわたる学習の基礎を培う教育を推進しています。
そのため、「学校の教育目標」を次のとおり定めています。
○ 礼儀正しい子…………きまりを守り、礼儀正しく思いやりのある子ども
○ よく考える子ども……自分の考えをもち、主体的に学び続ける子ども
○ やりぬく子ども………勤労と責任を重んじ、何事にもねばり強く努力する子ども
○ 健康な子ども…………明るく、心身ともに健康な子ども

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