6月10日(金)、福岡県鞍手町立剣南小学校にて、
第3回「ZOJIRUSHIユメセンサーキット2016」が開催されました。
夢先生は、廣道純さんが務め、
3・4時間目(5年1組)と5・6時間目(5年2組)に
「夢の教室」を行いました。
「夢の教室」前半35分はゲームの時間。この日は梅雨の季節の中、時折涼しい風も体育館に吹き込み絶好の「夢の教室」日和となりました。ゲームが始まる前には、アシスタントの安永さんから水分・塩分補給の大切さについてのお話がありました。
今日のゲームは体と頭を同時に使うゲームでした。歩く歩数を声に出しながら、途中で文字を挟むという内容です。大人がやっても失敗してしまうゲームに子どもたちも夢中に取り組みました。最後はクラス全員で一列になり、どうすれば同じ歩幅で全員が同時ゴールできるかを考えて取り組みました。結果は無事成功です。クラス全員が協力することを各自が考えながら取り組んだ成果でした。
「夢の教室」後半55分はトークの時間。夢先生である廣道さんが自分の経験を通して子どもたちに夢を持つことの大切さを伝えました。
廣道さんは小さいころから運動が大好きな元気な少年でした。そんな廣道さんでしたが、高校1年生のときにバイク事故によって下半身不随となってしまい、車いす生活となってしまいます。この現実を受け止めることはとても難しいことでした。しかし、「事故で死んでいたはずの人間が助かった。生きていてよかった」と、車いすの生活を前向きに受け入れることで、次第に「第2の人生をはじめよう。」と思えるようになりました。
元々スポーツが好きだった廣道さんは、いろんなスポーツに取り組みました。その中で車いす陸上は自分が努力しただけ結果に返ってくるので、どんどんのめりこんでいきました。
事故の1年後には初めて車いすのフルマラソンに挑戦をしました。そのマラソンでも好成績を残すことができ、さらに熱中して取り組むようになりました。そうした中、21歳のときに転機がおとずれました。もっと強くなりたいと思い、世界チャンピオンのアメリカ人のもとに弟子入りをして練習に励みました。その方は、プロの車いすランナーでパラリンピックのメダリストです。
廣道さんにとっては憧れの存在の人で、いつかは自分も同じプロの車いすランナーになりたいと強く思うようになりました。
しかし、パラリンピックの選考レースで他の日本人選手に負けてしまい、代表選考からは漏れてしまいました。落ち込んでいる廣道さんを立ち直らせたのは、やはりチャンピオンの言葉でした。「負けたことを気にするな。次を狙えばいいんだ」この言葉を胸に更なる厳しい練習を自分に課し続けました。
厳しい練習の成果が出て翌年には日本一になることができました。しかし、仕事も忙しくなり競技に専念することが難しい状況になってしまいました。
そこで廣道さんは大きな決断をすることになります。生まれ故郷である大阪を離れ、大分に引越したのです。大分は車いすマラソン発祥の地であり、もっと練習に専念できる環境がそろっていました。「自分は一度死んだ人間なんだ。だからこそ後悔したくない」その強い思いを持って練習を続け、2000年のシドニーオリンピックでは、車いすマラソンで銀メダルを獲得することができました。
また30歳のとき、自分の夢でもあったプロの車いすランナーになることもできました。それでも廣道さんの夢はまだまだ続きます。2020年の東京オリンピックで再びメダルを獲得すること。
そして現役選手を続けて死ぬまで走り続けたいと思い、今も厳しい練習に取り組みながら夢を追いかけています。お話の最後には廣道さんから、「夢と出会うことは突然で、自分のようにマイナスの経験から夢を見つけることもできる。1回しかない人生なのだから自分の夢を追いかけ続けてほしい。」という熱いメッセージがありました。
山口さん【将来の夢:バレーボールのジュニア大会で優勝したい】
あがったりさがったり、楽しかったり苦労したりといろいろな人生があるなと思いました。
基本練習をしっかりして、マイナスなことを考えず常に前向きにやっていきたいです。
坂本くん【将来の夢:今探しています】
先生(廣道さん)の苦労がとても大きかったことが印象的でした。
広い分野を勉強して、その中で自分の一番やりたいことをみつけていきたいです。
黒田さん【将来の夢:ケーキ職人】
事故で車いすになって大変だったのに、努力して車いすマラソンでプロ選手になったことがすごいと思いました。
家でお母さんの料理の手伝いをしたり、料理教室にも通って努力しています。
吉岡くん【将来の夢:塾の算数の先生】
夢を途中であきらめないことがとても大事なんだと思いました。
学校の授業でわからないことは、家で復習することで無くす努力をしています。