諦めない気持ちでチャレンジすることが大切!

「夢の教室」前半35分はゲームの時間。はじめに、夢先生の斎藤さんとバレーボールを使ったパス交換にチャレンジ。バレーボールが好きな子はもちろんのこと、得意ではない子どもたちも斎藤さんとのパス交換を楽しんでいる様子でした。
その後のゲームでは、アシスタントの野田さんを相手にクラス一丸となって勝負をしました。はじめはスムーズにクリアできた課題もだんだん難しくなり、子どもたちも大苦戦。それでも作戦タイムを何度も重ね、見事クリアできました。
ゲームの時間の最後には、斎藤さんから「諦めずに取り組む気持ちが大切。これからうまくいかないことがあっても、諦めない気持ちでチャレンジしようね!」とアドバイスがありました。

ゲームの時間のあと、
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

もっと強くなりたい一心で練習に取り組んだ学生時代

「夢の教室」の後半はトークの時間。授業のはじめに斎藤さんの現役時代の様子が映像で紹介され、その後はみんな一緒になって夢について語り合いました。
斎藤さんは幼少期、スポーツにはあまり興味がありませんでした。しかし誰よりも負けず嫌いだったこと、アグレッシブだったこと、そして小学6年生で168cmと身長がとても高かったこともあり、お兄さんからバレーボールにチャレンジしないかと勧められました。中学入学後にはバレーボール部に入部し、すぐに全国大会に出場する機会がありました。しかし、結果は1回戦敗退。この時の悔しい気持ちが「もっと強くなりたい。勝ちたい。」という思いにつながり、それ以降、斎藤さんは本格的にバレーボールに打ち込むようになりました。中学校卒業後は、さらなる技術の向上を目指して名門の中村高校に入学。練習の質が上がるだけでなく、とてもハードな練習を続けることでインターハイでは3位に入賞することができました。しかし、「スポーツは何より楽しむことが大切」と考えていた斎藤さんにとって部活のスパルタ練習はあまりに厳しく、高みを目指すモチベーションが徐々に薄れていってしまいました。そして、これがきっかけで斎藤さんは高校を辞めてしまったのです。

実業団への入団を機に芽生えた選手としての自覚。

そんなある日、高校を辞めた斎藤さんのもとに実業団からオファーが届きました。当時15歳の斎藤さんは家にこもりがちの日々を送っていましたが、「バレーボールの本当の楽しさを知らずに辞めるのはもったいない。」と、オファーを受けもう一度チャレンジすることを決心しました。大人に囲まれてプレーする経験はとても新鮮で、レベルの高さに刺激を受けました。「この環境なら、もっともっとうまくなれるかもしれない。」そう思い、高いモチベーションで練習を頑張りました。加えて斎藤さんは高校の勉強も再開するため、通信制の学校に入学、バレーボールと勉強の両立にも挑戦し、充実した生活を送るようになりました。
また、実業団での充実したトレーニングが身を結び、斎藤さんは初めて全日本の選手にも選出されました。15歳とまだ若かったため、ソウルオリンピック出場は叶わなかったものの、17歳の時にはワールドカップに出場して国際大会デビューを飾りました。この頃から選手としての自覚も芽生え始め、斎藤さんは技術面でも精神面でも一人前の選手として成長を続けるようになります。すると翌年には所属するイトーヨーカドーのチームで日本リーグ優勝を達成し、なんと史上最年少でリーグのMVPにも選出されたのです。斎藤さんのバレーボール人生は、実業団への入団を機に順調に進んでいるようでした。

決して諦めないという思いを胸に、努力を続ける。

しかし、身体がまだできていない若い頃からハードなトレーニングを重ねていたため、斎藤さんは怪我を負うことが増えてしまいました。痛めた肩をかばいながらプレーを続けたことでパフォーマンスが低下するだけでなく、怪我は悪化する一方でした。全治に2年もかかるという診断を受け、しばらくはプレーから離れることになりました。それは斎藤さんにとってとても辛い時間でしたが、「強くなりたい。負けたくない。」と自分に言い聞かせてリハビリに打ち込みました。
ようやく復帰が見えてきた頃、斎藤さんのもとにさらなる試練が訪れました。交通事故で全身に大けがを負ってしまったのです。この怪我でさらに4年半ものリハビリが必要になり、それはもう少しでプレーを再開できそうだった斎藤さんにとって、あまりに辛い出来事でした。それでも斎藤さんには心強い仲間がいました。共に事故にあったお母さんが、「あなたのプレーを見ると、家族みんなが元気になるんだよ。」と優しく声をかけてくれたのです。この言葉が励みになり、「家族みんなのためにも、もう一度プレーしよう!」と、復帰を目指す決心がつきました。どれだけ辛い時期でも「あとどれくらいで治るかな?いつプレーできるだろう?」気がつくとそんなことを考えていた斎藤さんは、バレーボールという競技が本当に好きだということを改めて実感しました。4年半のリハビリを乗り越え、ようやく競技生活に復帰。22歳~23歳で引退する選手が多い中、斎藤さんは26歳でダイエーに移籍し、プロ契約を結びました。2年間でチームが廃止されましたが、その後パイオニアレッドウィンズに移籍して新たに5年間のプロ契約を結び、キャリア最後の年には再び日本リーグ優勝を達成することができました。いつまで競技を続けることができるかわからない中、「強くなりたい。」という思いをずっと胸に抱き続けた斎藤さん。この経験から、決してあきらめないことと、継続することの大切さを学んだそうです。トークの時間の最後には、「自分の好きなことや夢が見つかれば、決して諦めないこと。そして大切な人を笑顔にするために、今自分が何をするべきかを考えよう!」というメッセージが斎藤さんから子どもたちへ送られました。