みんなと協力し合ってゴールを目指そう!

「夢の教室」前半35分はゲームの時間。山口さんと一緒に運動して、みんなで汗を流しました。
準備運動の後は、クラスで一つのチームになってボールを回すゲームにチャレンジ。アシスタントの野田さんが設定するタイムはどんどん短くなり、難易度が上がりましたが、山口さんを中心にみんなで意見を出し合いました。タイムはあと一歩及びませんでしたが、チーム一丸となって楽しくチャレンジすることができました。
ゲームの時間の最後には「みんなで声を掛け合いながら協力することが大切!これからもみんなで決めたルールを守って協力しようね。」と山口さんからアドバイスがありました。

ゲームの時間のあと、
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

負けず嫌いから生まれた「自分ルール」。

「夢の教室」後半の55分はトークの時間。山口さんの現役の頃のお話を聞いたり、みんなで夢について語り合いました。授業の最初には現役時代の様子が映像で紹介され、オリンピックの舞台の緊迫感に子どもたちは息を飲む様子でした。
幼稚園児の頃、山口さんは当時水泳の先生だった両親の影響で水泳を始めました。小学5年生の頃に本格的に取り組みはじめましたが、周りのライバルよりも小さい頃から水泳にチャレンジしていたこともあり、成長がとても早かったそうです。地元の九州大会から活躍の場を広げていき、6年生の頃には全国大会にデビュー。この大会では16位タイで抽選の末、敗退という結果に終わりました。負けたことが本当に悔しくて、この日以来、山口さんは二度と負けない実力をつけるため「自分ルール」を作りました。それは練習時間を増やしたり、合間があればトレーニングを行うといったハードな内容でしたが、山口さんは上達することだけを意識してストイックに頑張りました。

世界の舞台で活躍するためにもっと上達したい。

山口さんは「自分ルール」を作ってから懸命に練習を続け、実力を磨き続けました。そして中学1年生の頃に迎えた全国大会。リベンジの場で山口さんは見事優勝することができました。しかし、当時1つ年上の岩崎恭子さんがオリンピックで金メダルを獲得していたのを見て、「全国優勝くらいで満足してたのが恥ずかしい。世界にはもっとレベルの高い選手がたくさんいるんだ。」と気持ちを改め、世界の舞台で闘うことを意識するようになりました。
全国大会優勝を受けて、ある日山口さんのもとに大阪のスイミングスクールから誘いがありました。それはオリンピックを目指す選手を育成している有名なスクールでしたが、まだ中学1年生だった山口さんが単身大阪に住むことは叶いませんでした。「どうしても行きたいなら、もう一度オファーが来るように頑張りなさい。」お母さんのこの言葉をきっかけに、山口さんはこれまで以上に練習を頑張ることを決意しました。

1分1秒を大切に、限界の二歩先まで頑張る。

中学時代の活躍があり、山口さんは中学3年生の頃にアテネオリンピックの選考会に参加することができました。世界の舞台がうんと近づきましたが、結果は11位と惜しくもメンバーに残ることはできませんでした。それでも、当時世界で活躍していた北島康介さんをはじめ、トップレベルの泳ぎを間近で目にすることで世界へのあこがれは一層強くなりました。この時から、山口さんは「オリンピック出場」を夢見るようになったそうです。
高校入学時、山口さんは中学の頃に誘いがあった大阪のスクールに通い、よりハイレベルな環境で練習しました。しかし、その後1年間はなかなかタイムが伸びず、苦しい時期が続いたそうです。「このまま過去の自分を越えられず、時間だけが過ぎていくのかな。」と不安に思っていた時、体育の先生から「限界の一歩先で何をするかが、一番成長に繋がるんだよ。」とアドバイスがありました。これを聞いて「みんなが限界から一歩頑張るなら、私はさらにもう一歩頑張ろう。」と、山口さんは新しい「自分ルール」を作って気持ちを入れ直しました。6階の教室までつま先だけで歩いて登校したり、筋力トレーニングはみんなより1セット多く取り組むなど、誰よりも多い練習量をこなしたことで、高校3年生になる頃には自己ベストを更新。翌年には、夢見ていた北京オリンピック出場を実現できました。
夢を叶えた山口さんでしたが、次のロンドン大会では指関節一つ分、タイムが至らず。それから数年もの間タイムを更新できず、競泳人生で最も苦しい期間となりました。それでも山口さんは、「一緒に闘う仲間たちと一緒に、もう一度世界の舞台に立ちたい。」その一心で、「自分ルール」を考え直しました。1日に腹筋を3,000回も行うなど、身体に大きな負荷のかかるトレーニングでしたが、そのおかげでパフォーマンスは向上し、2016年には0.03秒差でリオオリンピック出場を決めることができました。1分1秒を無駄にせずトレーニングを行う山口さんだからこそ、コンマ一秒の世界で夢の舞台への出場を決めることができたのです。
「トークの時間」最後には、「今の私の夢はみんなに勇気を与える存在になること。みんなが過ごす時間は自然と流れているけれど、1分1秒を大切に生きて、夢に向かって頑張るんだよ!」と山口さんから子どもたちに向けてメッセージが送られました。