SpecialCOLUMN

未来へつなぐ、私のバトン

INTERVIEW 04

若者とともに創る未来。 ごみゼロライフの実現に向けて。

NPO法人 iPledge 代表理事羽仁 カンタ

フェスカルチャーの定着やアウトドアブームの加熱とともに、全国各地で様々なフェスやアウトドアイベントが開催され、レジャーの定番となりつつある。

羽仁さんは、そういった大規模フェスティバルや、多くの人々が集まるイベント会場などで、環境対策活動「ごみゼロナビゲーション」を展開。ボランティアを組織し、ごみの分別・削減、ごみ袋の配付、来場者参加型リサイクルキャンペーンを実施するなど、来場者と共に作る環境配慮型フェスティバル推進の草分け的存在だ。

2014年には「若者の力で世界を変えて行こう」と、環境団体iPledge(アイプレッジ)を設立。その活動の背景や想いとは。秋晴れの東京のイベント会場で指揮に当たる羽仁さんに聞いた。

留学先のアメリカで転機が訪れる

映画が好きで、東京写真専門学校を卒業後、映像制作会社に入社。撮影や編集の仕事を2年ほどするも、22歳のときに渡米。ボストンにあるノースイースタン大学の社会学部に入学するという、変わった経歴から羽仁さんのキャリアはスタートする。

「渡米を決意したのは、父がアメリカ人で自分がハーフということもあり、自分が何者なのか、見つけたいという想いからですね。自分は何をするために生まれ、今ここにいるのか。その問いへの想いが日に日に強まっていた頃でした。」

留学先の大学で、たまたま環境系のサークルに声をかけられたところから、人生が動き始める。

「母が環境問題に詳しかったというのもありますが、サークルに誘ってくれたのがいいやつで、いろいろ教えてくれて。ちょうどアメリカで環境問題がクローズアップされていた時期とも重なって、興味が湧いたんです。そこからですね、環境に関連した活動を始めたのは。最初は今みたいなことになるなんて、まったく思っていませんでした。」

アクティビストではなく、オーガナイザーの道へ

そんなきっかけで環境サークルに入ることになった羽仁さん。いろいろ偶然も重なって、気づけばサークルのリーダー的な存在になっていったという。

「たとえば、全米学生環境行動会議という、1万人くらいの学生が参加する大きなイベントがノースカロライナ州であったんですが、不運にも大学の学園祭と重なってしまった。アメリカの大学って学園祭にすごく力を入れるんですが、僕はその前年に別の団体で参加して、もう十分というくらい経験していたので、学園祭を優先する他のメンバーとは別に、その環境会議に参加することにしたんです。すると、結果的にボストンから参加したのが僕ともうひとりだけで、各州との連絡担当になっちゃった。それがそのうちボストン支部になるまで拡大していくんです。それがきっかけで、大人がやっている環境団体のオフィスにも招かれて。どんどん話が広がっていって楽しかったですね。」

そんな最中の1991年、ボストンで約5万人を集めるアースデイコンサートが開かれることになり、その準備に関わることになる羽仁さん。この頃から徐々に自分の進むべき道が見えてきたという。

「5人の大学生がコーディネーターに選ばれたんですが、その中のひとりとして各大学を説明してまわって。そういった役回りであったり、計画を立てる立場であったり、そういう仕事の楽しさに染まっていきました。僕の性に合ってるのは、アクティビストではなくオーガナイザーの道だ。オーガナイザーを目指そう、と。先頭に立って頑張ってくれる人を支えたり、増やしたり、うまく配置したり。そういうのがおもしろかったんです。」

ここ日本で、環境への意識を変えていく

そして1992年。グローバル規模の環境イベントとして有名な「地球サミット」がリオデジャネイロで開かれることになる。羽仁さんは50ヶ国70団体の若者たちが展開するA SEED国際キャンペーンの米国本部から派遣される形で帰国。日本の若者の声をまとめて提言書を作成し、サミットに派遣するキャンペーンに関わることになる。

「アジア地域にキャンペーンを広める役割を務めることになったんです。そこで、大学を休学して帰国。サミットに向けたキャンペーンの日本窓口として、当時の日本では珍しい若者主体の国際青年環境NGO『A SEED JAPAN』を設立します。そこで代表を務めることになるんですが、その活動を通じて、日本がいかに遅れているかを知ってしまった。環境問題への理解もそうですし、国際社会での発言力も弱かった。アメリカでいろいろ学んだのですが、外国人の自分がアメリカでやり続けるより、日本に持ち帰ってやっていくほうが意味があるんじゃないか、と。それで、アメリカではなく日本に軸足を置いて、活動を広げていくことにしたんです。」

活動の象徴となったフジロックでの取り組み

羽仁さんの活動を語る上では、やはりフジロックフェスティバルは欠かせない。

「第1回となる1997年にステージ上でのスピーチを依頼されて参加しました。活動を始めたのは2回目の時から。エコステーションで分別をサポートするのはもちろんですが、それ以外にも、ごみ袋を配ったり、ステージでしゃべったり、キャンペーンブースを運営したり。他にも、NGOビレッジを運営して、そこにブース出展したり、ごみの管理を24時間体制で行ったりと、幅広く活動しています。

フジロックが世界一クリーンなフェスとして脚光を浴びるようになるにつれて、僕たちの活動にも次第に関心が集まるようになっていきました。商標を取るなんてこともしていません。どんどんコピーしてもらって広がっていけばいいと思っています。

未来世代をともに、活動を広げていく

その後、羽仁さんはごみゼロナビゲーションの活動を独立させて、2014年にNPO法人  iPledgeを設立。未来を担う若者たちと活動をともにしている。

「若い世代、これからを担う未来世代と活動していくことを信念としています。環境会議なんかに行くと、そこで議論しているのは年配の方たち。もう十分生きてきた、環境の悪化から逃げ切れる世代です。一方で、深刻化する環境問題の影響をもろに受けるのは、その場にいない若い世代。だからこそ、未来世代と環境問題を引き合わせないといけない。若い世代にもっと関心を持ってもらわないと、この社会は変わらないんです。」

その言葉を聞いて、16歳のスウェーデン人環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんの国連気候行動サミット2019でのスピーチが頭をよぎる。日本の若い世代の環境問題に対する意識が、まだまだ欧米に大きく遅れを取っているのは事実だ。

「iPledgeでは“サシ話”といって、メンバー全員と1対1で話す時間を設けています。家族のこととか、将来のこととか、恋愛や就職の悩みまで。一人ひとりの人間としての理解を深めていくことが目的です。年間で100人弱くらい。昔は『一旗揚げてやる』『俺にしかできない何かを成し遂げるんだ』という、それこそロックのカルチャーのような気概を持った若者が多かったですが、最近の若者は自信がなくなってきているように感じます。将来への不安からかもしれませんが、自分の強みがわかっていなかったり、打たれ弱かったり。草食化というやつですね。就職も安定志向が多くて、ハングリーさが失われているように感じます。」

「環境への意識なんかも、みんな入ってきた当初は結構おぼろげなんです。活動をやってくなかで見つけていく感じですね。活動を通じて成長して、自信をつけたり、社会を変えられるという実感が持てたり。そうやって、日本の未来を担う立派な若者が増えたら、と。巣立っていったメンバーが会社を作ったり、団体を立ち上げたりして、活躍しているのを見るのは嬉しいですね。みんなでやっていくことが大切ですし、自分の個性や、やりたいことをベースに仕事をする人が増えていけばいいと思っています。」

専門家にはなりたくない

羽仁さんには、活動をする中で心に決めていることがあるという。

「専門家にはなりたくないんです。研究者だとか、その筋のプロに。なぜかというと、そうなると市民とコミュニケーションが取れなくなる。専門家になればなるほど、こういう現場や、社会から離れていってしまう。それは自分の目指す姿ではないな、と。こういう活動をしているので、環境問題についてそれなりに知ってはいるけど、専門家ではない。市民側の立場や目線で寄り添っていかないと。変えたいのは、人々の行動や世の中の仕組みのほうですから。」

続いて、羽仁さんがSNSのプロフィールで掲げている「誰もが対等な、参加型市民社会の創造」という言葉の意味合いや想いについて尋ねてみた。

「アメリカで感じたのが、いろいろな対等じゃない現実でした。人種の問題、ジェンダーの問題、地方と中央の隔たりや、世代間の問題。社会学部だったこともあり、公民権運動や幼児虐待、子どもの権利なんかも学んでいたんですが、そういった対等じゃない部分の問題が、いろいろな不幸の原因になっているんじゃないか、と。そういう考えもあって、対等であるということを、ひとつ譲れないものとして掲げたいと思うようになりました。よくメンバーにも言っているんです。『僕たちは来場者と対等でなければいけない。上から命令するような立場であってはいけないし、逆にお客様にへりくだることもない』と。上から目線では健やかな関係は築けないですし、へりくだって、参加者からゴミの処理をやってくれて当たり前と思われるのも、良好な気持ちのよい関係性ではないですよね。」

目の前の問題に、当事者が参加していく社会を

「次に、参加型という想いですが、2000年以前のイベント会場では、お客さんが汚す、それをバイトやボランティアが拾って片付ける、というのが当然の状況でした。僕らが関わる前は、2日間かけて、約60人のバイトくんがごみを拾っていた。その状況を変えないと、と思ったんです。捨てているのは自分が生み出したごみなわけで、その人自身が適切に処理すべきこと。そのためには参加型の仕組みを作っていくことが必要だと思ったんです。今では、来場者参加型で分別してくれているおかげで、大規模な清掃活動をやる必要もなくなりました。」

「少し話が変わりますが、ある家の庭に生えている紅葉の葉が散って、風に舞って隣の家の庭に落ちて、隣人が掃除に追われるなんてこと、あると思うんです。ところが最近は、直接隣に言わずに、行政なんかに苦情を言うんですね。すると間に挟まれた行政も状況が掴みきれず、うまく立ち回れなくて、さらに揉めることになる。目の前にある小さな問題は、当事者同士で話し合うほうが早く解決することが多い。僕たちは他者との繋がり合いの中で生きています。当事者同士が参加してこういった問題を解決していくような社会をつくっていきたいですね。」

象印との出会い。そして取り組みを共にするパートナーとして

象印との関係は2011年から。象印が初めてフジロックに出展した際に、主催者経由で知り合ったという。

「ちょうど給茶・給水の仕組みがつくれないかと思っていた頃だったので、給茶スポットという取り組みも、すごくいいなと思いました。企画した広報部の方はフジロックのお客さんだったそうです。大好きなフジロックで仕事をしたくて社内に提案して、まさに趣味を仕事にしているおもしろい方で。ブースも近かったので、お茶を分けてもらったり、他のイベントでもご一緒して、終わったあとにごはんを食べたり。そんな流れで2013年くらいから、私たちの活動にも協賛いただいていて、今も業務委託という形で、フェスなどでの『出張!給茶スポット』もお手伝いさせてもらっています。ゴミも減るし、マイボトルの啓発活動としてもいい。本業と一貫していて、売上にもつながる。環境にもいい。まさに一石三鳥のような取り組みですよね。町なかの給茶スポットも、企業同士の連携なんかで本格的に増やして、マイボトルユーザーのプラットフォームになるような仕組みづくりをしていくとか、給水所を増やそうという行政の動きもあったりするので、そういうところと連携しつつ、活動を広げていってもらえれば嬉しいです。」

これから目指すのは、ごみゼロライフの実現

「去年からは中国でも活動を始めました。2022年の冬季オリンピックの開催地が北京で、中国の大きな環境団体がオリンピックの組織委員会に入っていて、熱が高まってきている。その次が、環境意識がさらに高いパリでの夏季五輪。まずは2020年の東京から、活動が広がる流れをしっかり作っていきたいです。」

もうひとつ、これからの取り組みとして、羽仁さんは「ごみゼロライフ」というキーワードを挙げてくれた。

「今はフェスなどの非日常に環境意識を持ち込む『ごみゼロナビゲーション』の活動が中心ですが、来年以降は『ごみゼロライフ』といった形で、若者たちのライフスタイル変えていくような活動にも力を入れていきたいと思っています。やっぱり、日常を変えていかないと意味がない。原宿にオフィスがあるので、渋谷区などと連携して、若者の街原宿から発信していきたい。生活者参加型の活動には、マイボトルはまさにもってこいなので、象印さんともぜひ一緒にやっていきたいですね。」

ここ数年、日本でも異常気象による大きな災害が増えており、環境に対する危機意識が大きくなってきている。あと5年、10年もすれば、さらに大きく変わっていくだろう。そういうときに選ばれる商品を象印にはつくり続けてほしい。羽仁さんは、そんなメッセージでインタビューを締めくくってくれた。

*プロフィール、本文等、内容については2019年10月取材時のものとなります。

もどる

PRODUCT

製品情報

一覧をみる
top