象印 ZOJIRUSHI

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あゆみ

中びんの自動生産1963 (昭和38)年

昭和30年代前半より、国内需要の増加で、毎年昨年比を10%を上回るスピードで伸びていった(全国魔法瓶工業組合調べ)。
ところが中びんの生産は、大正時代から続く、専門の職人による手吹き作業に頼らざるを得なかった。手作りのため、形の不揃い、ガラスの厚みの均質さに問題が生じる、さらに決定的なのは、大量生産ができないという悩みを抱えていた。

増加の一途を辿る需要に応えるためには、中びんの自動生産が絶対の条件だと、当時市川社長は認識していた。
1960(昭和35)年のアメリカ出張時も自動生産している各社を訪問し、日本への導入を図った。同じ時期に国内のガラスバルブメーカーも、自動製びん装置の独自開発に取り組んでいた。海外からの製造機械の導入、国内での開発といった考え方が入り混じる中で、まほうびんメーカーも、バルブの製造メーカーも一致協力して立ち向かうことになった。

1963(昭和38)年9月に新発売された「サーモスAK型」が、自動製びん機の最初の商品として登場した。こちらは1リットル未満のポットだったが、その後試行錯誤を経て、大容量の中びんも自動化に成功した。
1966(昭和41)年以降全面的に自動中びんへの切り替えが成功したため、均質の中ビンが大量生産されることになり、商品の機能が向上し、価格が下がるという現象が生じたため、まほうびんは全国に普及することとなった。

これらの成功に伴い、その後、1.8リットル、2リットル、2.5リットルと大型化し、家族揃ってまほうびんを使用するライフスタイルが定着していった。

自動製びん機