象印 ZOJIRUSHI

象印マホービンのとりくみ

開発秘話

真空かまど釜の巻厚釜を超えろ!逆転の発想から生まれた新技術〜

逆転の発想

平成12年4月、内釜材料メーカーとの定期会合で、次世代炊飯ジャーの内釜が話題になった。マホービンメーカーとして真空の釜を作りたいという開発メンバーの思いを聞いて、内釜材料メーカーの担当者がふともらした。「そういえば、IHの釜は板の内部が剥がれて不良品ができることがある」。それを聞いた開発メンバーの一人が目を輝かしていった。「その剥がれた隙間を利用して真空釜が作れないか?」。このやり取りが契機となり、真空かまど釜の開発プロジェクトが動き出した。
同年5月、ゴールデンウィークの休暇明けに、福嶋は開発部長に呼び止められた。小容量タイプの炊飯ジャーの量産化を一段落させ、ほっと一息ついていたときのことだった。その場には部長の他に上司と先輩も同席していた。三人は加工不良でできた隙間に着目し、断熱性能と省エネ効果を備えた「真空かまど釜」の構想を練っていた。おもしろいアイデアだと福嶋は思った。
当時、競合各社は蓄熱効果でご飯がむらなく炊ける「厚釜」を次々と市場投入していたが、厚釜は重くて扱いにくく、熱効率がよくないというデメリットがあった。真空層によって熱を閉じ込める真空かまど釜なら、厚釜と同様の伝熱性があるうえ、軽くて、省エネ効果もある。
本来であれば“不良品”というマイナス要因を、プラスに転換した逆転の発想から、真空釜への挑戦が始まった。

プレス加工でトラブル続出

同年6月、福嶋が主担当となり開発がスタートした。一般にIH炊飯ジャーの内釜は、ステンレス板とアルミニウム板を接着した複合板でできている。その二枚の板が剥離するトラブルを逆手に取り、真空かまど釜の板は、真空にする部分をわざと接着しないで、特殊な方法で真空層を作るという構想だった。
第一号の手作り試作品は比較的容易にできたが、量産に向けて検討を始めた途端、たちまち大きな壁にぶちあたった。プレス加工の段階で、次々と未接着の板が割れていく。10個のうち1個でもうまくいけばよいほうで、割れた板がプレス金型に挟まって取れなくなることが何度もあった。このままでは金型やプレス機を壊してしまう。テストは中断を余儀なくされた。
12月に特殊なプレス機に変更してテストを再開。これも最初こそはうまくいったが、テストを繰り返すうちに、まるで破れた麦藁帽子のように釜がパックリと割れるトラブルが続出した。テストは材料メーカーとプレスメーカーの担当者と協力しながら行う。プレス加工は専門外の福嶋は、何度失敗しても決してあきらめず、手間を惜しまずに試作とテストを繰り返してくれる彼らの熱意がありがたかった。
毎週のように滋賀県にあるプレスメーカーに出かけてテストを行う日々が続いていた。結果を報告するために、不良品の山をかかえて社に戻り、また次の案を練る。少しずつではあったが、確実に前進していた。

偉大なるベテラン技術者

開発がスタートして約1年、量産開始の時期は目前に迫っていたが、量産するには課題が山積していた。あせりといらだちから、テストをめぐって材料メーカーとプレスメーカーの担当者と意見が合わなくなるケースも増え、現場には重苦しい空気が漂っていた。
福嶋はすがる思いで、象印滋賀工場の菊地に相談した。製造10年、生産技術20年のベテランで、プレス加工から溶接まで、製造・生産技術は一通りの経験がある。これまでも滋賀工場で製品を立ち上げるときに仕事を共にしてきたが、壁にぶつかると、次々に実践的なアイデアを出して、プランを現実してくれた。頼りになる人だった。菊地はすぐに応援にかけつけた。
そのころ、真空層の境界部分に歪が生じて、不格好なで凹凸ができるトラブルが多発していたが、材料やプレス方法のパターンを変えて試しても直らなかった。「プレスの工夫ではこの凹凸が限界だ...」。プレスメーカー担当者の困り果てた声を聞いて、菊地は表面の研磨を提案した。そして、ありあわせの器材を使ってあっという間に研磨機を作り、凹凸部分をきれいに削り上げた。真空かまど釜の開発は、新たな局面を迎えていた。

真空層の壁に挑む

続いて滋賀工場でスタートした釜の仕上げ工程のテストでも、大きな壁に直面した。最後に水位目盛の色入れ加工をするために高温の炉で焼き付けるが、高温すぎて真空層が必要以上に広がってしまう。いろいろな温度で試した結果、真空層を適切な状態に保つには、それより100℃近く低い温度にする必要があるとわかった。しかし、高温にしないと水位目盛の色が剥がれてしまう。ジレンマに陥った。そのころには、部長や上司もテストに合流していた。
テストは滋賀工場の稼動が終える6時ごろに始まるため、毎日4時ごろになると連れ立って、大阪工場(大東市)から滋賀工場に向かう。夏の暑いさかりに、高温の炉のまわりに集まり、水を飲みながら遅くまでテストを行った。真空層の広がりを防ぐために、みんなで案を出し合った。ハロゲンヒーターで内釜の内側のみを熱してみたり、下から風を当てて冷ましたりと、思い付くものは何でも試してみた。

ある日、熱を遮断するために釜の下に保護用部品を当てて炉に通したところ、高熱でその部品が溶けて台にはりついた。昼間は量産用に使う炉である。福嶋は事の重大さに動転し、その場に立ちつくした。すると、居合わせたスタッフみんなが、黙々と溶けた部品を取り除く作業を始めた。だれもめげる様子もなく、文句をいう者もいない。共に作業を行いながら、福嶋の胸に言葉にならない熱い思いが込み上げてきた。

一つのひらめきが糸口に

転機が訪れたのは、量産化に取り掛かってからのことだった。試行錯誤の果てに、真空層の性能と水位目盛の色付けの品質を保つことができる炉の温度は見つけ出していたが、不良率が高く、多くの課題が残されていた。みんなでアイデアを出し合うなかで、菊地がふとひらめいた。過去にホーロー鍋の製造に携わったとき、窪みをつける工程があるのを思い出したのだ。「真空層の境界部分に窪みをつけてはどうだろう。もしかしたら、真空層の浸食を防げるかもしれない」。さっそく窪みをつけてテストすると、真空層のトラブルはぴたりと止まった。
真空かまど釜は、平成13年9月に発売された商品に初めて搭載された。重量は他社の厚釜と比べて約半分。炊飯時の消費電力が自社従来品と比べて10%もカットできる省エネ性も話題になり、市場から高い評価を受けた。翌年からは圧力IHタイプにも搭載され、いまや象印のIH炊飯ジャーには欠かせない機能になっている。

評価された技術

福嶋にとって、真空かまど釜の開発は決してよい思い出ではない。何度もいきづまり、いろいろな人に迷惑をかけた。「でも、あんな開発はもう二度とできないと思います。開発メンバーの妥協しない姿勢、分析力、行動力、そして菊地さんの経験とアイデアが問題解決につながりました。それから、先の見えない仕事に付き合ってくれた方々のサポート。一人ではできなかったことです」。と当時の思い出を振り返る。
真空かまど釜の開発から5年たった平成17年3月、福嶋に朗報が届いた。大阪府から「発明功労者」として、また日本電機工業会からも「電機工業技術功労者(発達賞)」として表彰されたのである。いずれも真空かまど釜の製造方法についてのものだった。

開発担当者
菊池雄二(左)福嶋正巳(中)
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