ライスマイル

ライスマイルについて
アスリートの源は、ごはんにあった!

Vol.3

元競泳日本代表 松田 丈志さん

4歳で水泳をはじめ、2004年のアテネから2016年のリオデジャネイロまで、4回のオリンピック代表に
選ばれ、計4つものメダルを獲得。「とにかく食べることが好き」という松田さんが、ごはんへの
あふれる情熱を語ってくれたよ。

幼少

高校時代

生まれたときから
大食い。
特にごはんが
あれば満足でした。

食べるのが好きなのは、
子どもの頃からですか?

松田

生まれてからずっとよく食べる、というか、間違いなく大食いでした。記憶にはないですけど、2歳くらいですかね。家族と行ったピクニックで、大きなおにぎりをうれしそうに持っている写真が残っています。ほっぺたにごはんつぶをつけていたりして…。4歳で水泳を始めてからはますます食べるようになり、小、中学校と成長するに従ってどんどん量が増えていき、毎日朝から大きな丼にごはん2杯、夜は3杯、牛乳は2.5ℓは飲んでいました。当時、給食のごはんはアルミの箱に入っていましたが、あんまり食べない子がいるじゃないですか。その子たちの分までギュッと詰めて、全部で7箱分くらい食べたことも!当然、おかずは足りなくなりましたけど、ごはんがあれば満足でしたね。

一番好きな食べものは何でしたか?

松田

ダンゼンお米! じつは、僕の実家は子どもの頃までは兼業農家でお米を作っていたんですね。だからいつも大きな茶色の米袋が置いてあって、毎食、当たり前のように主食はごはんでした。そうそう、小さいころはトラクターにのせるとすぐ寝る子だったみたいで、おやじが田んぼを耕すときによくひざの上に乗せられていました。何度か落ちましたけどね。(笑) そのときの振動とか、匂いとか、風とか、今でもよく憶えています。おたまじゃくしをとったり、泥んこになって遊んだり、農閑期には凧揚げしたり…。田んぼはいつだって遊び場で、季節ごとに変わる風景は僕の原風景です。

高校になると
さらに食べる量は増えましたか?

松田

はい。ランチ用のお弁当箱は1ℓのタッパーで、その半分がごはん。おかずはいろいろ入っていたけれど、卵焼きは定番でした。もうひとつ、放課後の練習前に食べるためのミニサイズお弁当と2つ持って、毎日通っていました。朝食と夕食は家で食べていたので、1日4食。量的には高校から大学2年ころまでがピークで、ごはんの量は半端なかったですね。そんな僕が苦労したのが、海外遠征。ジュニアの頃って、どこでも戦えるタフな精神を身につける意味もあって、現地のものを食べるのがルールだったんですね。朝からパンとか無理!って、かなりダメージを受けたことは忘れられません。

大学

現役まで

海外遠征で体調を支えて
くれたのが、
おにぎり。
すぐ食べられて便利
なんです。

選手時代、食事で苦労されたことは
ありましたか?

松田

水泳選手はとにかくカロリーをたくさんとらなくちゃいけないんですね。若い頃で7000kcal、現役の後半でも5500kcalで、成人男性の約3倍。結構な量ですよね。でも僕は食べることが大好きだから、まったく苦になりませんでした。実際、お腹が空きましたし…。たくさんの量を食べていた当時のエピソードがあって、コーチと食事に行った時、僕がオーダーするとウエイターさんがコーチのオーダーをとらずに戻って行ってしまうんですよ。僕がオーダーしたのがあまりの量だったから、2人分だと思われていたんでしょうね。(笑)苦労と言えるかどうかですが、しいて言えば試合前には体を軽くするためにもある程度体重を落とす必要があったこと。1日に5回くらい体重を量りながら食事で微調整しました。

栄養で気をつけていたことは
ありますか?

松田

もともと肉や魚介、野菜に好き嫌いはないのでなんでも食べましたし、良質なタンパク質を摂ったほうがいいなど漠然とした知識もあったので、なんとなくバランスを意識するだけで80点くらいの食事はできていたと思います。ところが、24歳くらいからちょっと体が変わってきまして、ベスト体重に落ちにくくなってきたんですね。で、専門の方にみてもらって栄養成分ごとの必要量を教えていただき、よりバランスのとれた100点の食事を目指すようになりました。とはいえ、何かをすごく我慢したり、食材をガラリと変えたわけではありません。ただ、フルーツはジュースではなく固体で摂るなど、糖分を水分では摂らないようにしました。

最高のパフォーマンスをするために、
食事の秘訣はありましたか?

松田

代表になってからは、試合でも練習でも最高のパフォーマンスができるように、海外でも日本食のサポートをしていただけるようになりました。そんなときに便利だったのがおにぎりです。おにぎりと、あとはカップスープなどの汁ものさえ用意すれば、野菜やたんぱく質は現地のものを組み合わせることで、簡単にバランスのいい定食になります。ふりかけを混ぜたり、すしの素を混ぜたり、食べ飽きないようにいろいろ工夫もしていただきました。最後のリオ五輪では、時差の関係もあって決勝が夜の22時〜24時に設定されていたので、体調管理が大変だったんですね。そのときに活躍したのがだしを効かせたひと口サイズのおにぎりです。移動中やウォーミングアップ後など、必要なときに戦略的に食べることができてとても力になりました。

その頃の勝負めし、
ごほうびめしはありましたか?

松田

ジンクスを作るとそれに縛られてしまうので、試合前はあえて勝負めしを作らないようにしていました。ごぼうび飯もその時に食べたいものを食べるという感じで、特に決めてなかったですね。ただ、合宿や遠征で海外に長期間いると必ず選手達の間で話題になるのが、帰国したら何を食べたいかということで、思い浮かべるのは、ラーメンとか焼肉とかお寿司。でも、だいたい帰国した日はホテルに宿泊するので、最初に食べるのが、ごはんとみそ汁と、子どもの頃から大好きな納豆と目玉焼きという和朝食なんですが、結局、それで落ちついてしまう。やっぱり炊きあがりのおいしいごはんに勝るものはありません。

現在

炭水化物の量は
減らしても、ごはんは
毎日食べる。1番テン
ションが上がります。

引退してから体型をキープするのは
難しかったですか?

松田

引退するとき、やめらた絶対太るよってみんなから言われてたんですね。だから、半ば意地になり、絶対太らないようにしようって決めてました。(笑) 激しい練習をしない分、無理しなくても量は自然と減りましたし、運動しないで食べるとどこか罪悪感があるので、マラソンに出たり、トライアスロンにチャレンジしたりして積極的に運動をするように意識することで今はキープできています。極端に食事を制限する方法も考えたんですけど、やっぱり食材にはそれぞれ大切な栄養が含まれているので、何かをやめるのはよくないと気づきました。

食生活に変化はありましたか?

松田

1番の変化は、自由度が高くなったこと。練習することが主体の生活ではなくなったので、決められた時間に決められた量を食べる必要性がなくなったからなのですが、それってちょっと開放感があったんですよね。食べることは好きだから苦にならないと思っていましたが、無意識に縛られていたんだなって、引退後にわかりました。

今でも一番の好物はお米ですか?

松田

もちろん! お米があれば文句ありませんし、今でも1日に2食は食べます。子どもが生まれてからはなにかと忙しく、朝食はパンのことが多くなりましたけど、朝からごはんが出てくるとやっぱりうれしいし、元気も出ます。好みは、もちもちより、かためのごはん。品種でいえば、つや姫、ゆめぴりか、コシヒカリあたりが好きです。今更ですが、新米の時期じゃなくても、スーパーに行けば必ずおいしいお米が手に入る。これって幸せなことですね。僕のごはんのお供の定番は、納豆、明太子、大根葉の漬けもの。これも子どものころから変わりません。あとは、奥さんが作ってくれる馬すじの煮込み。ごはんがすすみますね。

わたしのベス友ごはん

ごはんに最もぴったりな
ごはんのお友「ベス友ごはん」を
松田さんがセレクト

まるきん納豆

子どもの頃からのベストパート−ナーは「納豆」。思い出の味は、ちょっと甘いたれが絶妙の熊本のマルキン納豆です。うちは共働きだったので、土曜の昼は自分で食べていましたが、丼一杯のごはんに納豆2個、卵2個が定番で、たれを塩にしたり、卵を黄身だけにしたり、けっこう工夫していました。今はスーパーに行く度に新しい納豆をチェックしています。食べ方は、白くなるまでよく混ぜる、納豆だけのときはたれを半分にして納豆の味を際立たせるのがこだわりです。白いごはんあっての納豆です。

松田丈志さんにとって、
ごはんとは?

ズバリ、エナジーです。体を動かすために欠かせない大切な栄養素でもあるし、大好きだから食べるとうれしくて心も元気になる。僕にとっては何にも代えがたい、生きていく上で欠かせない活力です。

プロフィール

松田 丈志 (まつだ たけし)

1984年生まれ、宮崎県出身。地元・東海スイミングクラブで、
4歳から水泳をはじめる。久世由美子コーチの指導のもと頭角を現し、
日本選手権で実績を残してアテネ五輪代表に。スイミングクラブの屋根が
ビニールハウスでできていたところから「ビニールハウス生まれの
ヒーロー」とも称された。延岡高校を卒業後、中京大学へ進学。
その後、北京五輪では200mバタフライで銅メダル、ロンドン五輪では
400mメドレーリレーで銀メダルと、200mバタフライで銅メダル、
リオデジャネイロ五輪では800mリレーで銅メダルを獲得するほか、
国内外の数々の大会で活躍し、2016年引退。現在はスポーツ解説、
アスリートをサポートする味の素『勝ち飯®』のアンバサダーを
務めるなど、幅広く活躍している。