Vol.4
元アーティスティック
スイミング五輪代表
青木 愛さん
8歳からシンクロナイズドスイミング(現名称・
アーティスティックスイミング)をはじめ、国内のジュニア五輪で優勝。北京五輪ではビューティーマーメイドの切り札として活躍した青木さんが、美しい
演技の原動力になったごはんの話をしてくれたよ!
幼少
~
高校時代
料理上手の母がいろいろ
と工夫してくれて。
栄養面をサポートして
くれました。
- 子どものころは、
どんな食生活でしたか? -
青木
好き嫌いがなく、なんでも食べられました。幼稚園の頃はブロッコリーが苦手でしたが、通っていた幼稚園はお弁当を全部食べ終わらないと「ごちそうさま」を言わせてくれない方針で。母がいろいろ工夫して、毎日お弁当にブロッコリーを入れてくれたんです。お陰で食べられるようになりました。それ以来、好き嫌いはまったくありません。母は料理が上手で、いろいろつくってくれました。ごはんもおかずも、昔からよく食べるほうだったと思います。
- シンクロナイズドスイミングの選手
として食事で気をつけていたことは
ありますか? -
青木
私は痩せていたので、しっかり食べて太るのが課題でした。中学2年生から大阪のクラブに通っていたのですが、大阪から京都に帰る間におにぎりをよく食べていました。母がお昼のお弁当とは別に夜食を毎日持たせてくれて。練習のあとはお腹がすきますし、何よりすぐに食べないと栄養にならないので。家に帰ってからも夕食をしっかり食べました。お昼のお弁当箱は異様に大きかったですよ。それプラスおにぎりを食べたり、購買でパンを買ったり。そのくらいしないと全然太れなくて。そこが悩みでした。
- お母さんの手料理では
何が好きでしたか? -
青木
いろいろつくってくれましたが、一番はとんかつかな。真ん中に梅肉を入れたり、しそで巻いたりと、ひと手間かけたとんかつです。やっぱり練習で疲れて、食べるのもつらいという日もあって。そんなときでも量はしっかりとらなきゃいけなかったので、カロリーはあるけど、さっぱりとしたものをと気づかってくれたのだと思います。小学校から中学、高校と、ずっとそうでした。その頃の食事や栄養面は母がサポートしてくれました。
現役時代
1日4500kcalが目標。
ごはんは最低でも
「マン
ガ盛り」2杯でした。
- シンクロナイズドスイミング選手
として、食事の制限などは
ありましたか? -
青木
選手によって異なります。私は痩せやすい体質だったので、もっと食べて太りなさいと言われていました。1日4500kcalがノルマ。異様なほど食べていました。練習時間が長いので、それに耐えられる体づくりもしなくちゃいけないですしね。代表に入ってからは栄養士さんの指導を受けました。パソコンに食べたものを打ち込むと、カロリーと栄養のバランスが出るようになっていて、それを見ながら自分で考えて判断できるようになりました。昔は母任せでしたが、その頃からですね、食事の量や栄養のバランスを自分で意識するようになったのは。
- そのころのごはんの食べ方は、
どんな感じでしたか? -
青木
ごはんは毎日"マンガ盛り"でした。お茶碗にこんもりと山盛にしたごはん。テレビの日本昔ばなしとか、マンガに出てくるような山盛りで、"マンガ盛り"って呼んでました(笑)。しかも大きいお茶碗で。それを最低2杯は食べていましたね、1回の食事で。そうしないと目標のカロリーをとれなかったんです。それでも全然足りなくて。合宿のときも、家でも。お茶碗はお父さんのよりずっと大きかったですね。お茶碗というより、小さめのどんぶりかな? 女の子が使うようなちっちゃいお茶碗は使ったことありません。
- 食べ方で決めていたこと、
ルーティーンなどはありましたか? -
青木
毎晩、寝る前にお餅を5個食べていました。そうしないと、朝起きたときに急激に痩せちゃうので。たぶん代謝がよすぎるんでしょうね。合宿や遠征のときは、給湯室にある電子レンジでお餅5個をチンして、きなこやしょうゆで味を少し変えながら毎晩食べていました。お餅を選んだ理由は、先輩たちが食べていたから。手軽だし、腹持ちがいいので受け継がれていたんだと思います。お餅もお米ですからね。やっぱり炭水化物をしっかりとらないと動けないし、エネルギーにならないので。試合前もごはんやお餅など、米類をしっかり食べるようにしていました。海外遠征のときも、お米と炊飯器を持って行ってホテルの部屋で炊きましたね。
現在
引退して初めて、
食事を楽しむことを
知りました。今でも
ごはんは大好きです。
- 引退をして、食事は変わりましたか?
-
青木
引退直後は、これでたくさん食べなくてもいい!っていう気持ちが強くて、あまり食べませんでした。現役時代は食べることも練習の一部でしたから、食事を楽しいと思ったことはほとんどありません。おいしさは感じますけど。でも、引退して、好きなときに、好きなものを、好きなだけ食べられるようになったら、すごく楽しくなってきて。誰かと食事に行って会話を楽しみながら食べるとか。昔はただ黙々と食べていましたからね。食事の楽しさを知りました。今では、今日はお肉にしようかな、お魚にしようかな、おすしもいいなと、気分に合わせて選ぶのが楽しいです。でも、やっぱりバランスよく食べていますね。身についちゃってるので。今、野菜が足りないなとか。体が出す信号がわかるので、それに従っています。
- 食生活のアドバイスなどをすることも
ありますか? -
青木
引退後、6年間子どもたちの指導をさせていただきました。小学生が多かったのですが、体をつくる大切な時期なので、自分の経験を生かしてアドバイスをしました。体形をみたら、わかりますから。「もうちょっと食べる量を控えて」とか、「揚げ物は衣はがして食べてね」とか、自分が学んできたことを直接教えることができましたね。シンクロナイズドスイミングでは、ただスラリと細くてもダメなんです。演技をしたときに見栄えのする体形じゃないと。それにしっかり食べないと動けません。統一感も大事なので、それぞれの体形に合わせた指導が必要です。
- 今はどんなごはんが好きですか?
-
青木
やっぱり白いごはんが好きですね。ハンバーグとごはん、焼き肉とごはん。焼き肉を食べに行っても必ずごはんは頼みます。選手時代、ごはんをたくさん食べなくちゃいけなくて、あんなにいっぱい食べていたんですけど、引退しても大好きなんです。ごはんもお餅も、今でも本当によく食べますよ。子どもの頃、母がブロッコリー嫌いを治してくれたおかげで、好き嫌いがありませんから、いろいろなおかずと一緒にごはんを楽しんでいます。
わたしのベス友ごはん
ごはんに最もぴったりな
ごはんのお友「ベス友ごはん」を
青木さんがセレクト
ちりめん山椒
「ちりめん山椒」は、昔から家でよく食べていました。山椒の木が家にあって、おばあちゃんがよく手作りしてくれたんです。山椒のピリッとした辛みはごはんがすすみます。ちょっとさっぱりした風味がいいですね。もうお腹がいっぱいかな、というときも山椒の風味で口の中が変わって、ごはんがいくらでも食べられます。母がよく作ってくれた梅肉入りのとんかつみたいに、ちょっとさっぱりした感じのものが好きなんです。
青木愛さんにとって、
ごはんとは?
パワーの源です。選手時代はシンクロナイズドスイミングをするための体をつくり、練習に耐えたり、いい演技をしたりするためのパワーにもなりました。今は楽しむためのもの。毎日を元気で楽しく過ごすためのパワーの源ですね。
プロフィール
青木 愛 (あおき あい)
1985年京都府出身。
8歳から本格的にシンクロナイズドスイミングをはじめる。
国内のジュニア五輪で優勝するなど小学生のころから頭角を現し、
中学2年から井村雅代氏に師事。20歳で日本代表に選出される。
23歳で北京オリンピックに出場し、チーム種目で5位入賞。
欧米の選手に見劣りしない恵まれた容姿で、チーム演技の核として
活躍。引退後は、テレビなどのメディア出演を通じて
幅広いスポーツに携わる。