褒められたくてはじめた水泳

北海道で4人兄弟の2番目で育った佐藤さんが水泳を始めたのは3歳のときでした。先に水泳を習っていたお兄さんの影響でした。しかし、泳ぐことが好きというよりも、泳ぎが上手になることで、ご両親に褒められることがうれしくて続けていました。

高学年で選手コースに入り練習も厳しくなりましたが、タイムがよくなる度にご両親に褒められるのがうれしくて練習をさらに頑張ったそうです。小学校5年生では初めて全国大会に出場することができました。出場選手の中で下から2番目という結果でしたが、佐藤さんに悔しいと思う気持ちは全くありませんでした。全国大会に出場してご両親に褒められたことで満足していたからでした。それよりも試合後のディズニーランドのほうが楽しみだったそうです。

佐藤さんにはご両親から頑張ったときのご褒美がもう一つありました。それは佐藤さんが大好きな漫画を買ってもらうことです。漫画を買ってもらうために練習に励んだことで、毎年全国大会に出場できるようになり、中学2年生では全国大会で5位という結果を残すことができました。中学3年生の全国大会で優勝したいと初めて水泳で目標を持った佐藤さんは、目標を達成するにはどうしたらよいか自分の中で考えました。練習を頑張るのは当然として、体を大きくするために、食事・睡眠といった毎日の生活の中で自分にルールを作り、それを守ることを心掛けました。1年間努力した後の全国大会は2位という結果でした。初めて自分の中で目標を立てて頑張った1年間でしたが、結果には結びつかなかったことがとても悔しく思い、高校ではもっと努力して果たせなかった目標をかなえようと決意します。

強豪校入学からの挫折

高校は全国で有数の水泳の強豪校に入学しました。北海道から東京の高校に入学した佐藤さんは寮生活をはじめました。水泳の練習が厳しいことは覚悟していましたが、それ以上に厳しかったのが寮生活でした。初めての共同生活での様々なルールに戸惑うことが多く、北海道でのびのびと生活してきた佐藤さんは、水泳に対する気持ちもどんどん下がり、目標を見失ってしまいました。

行き詰った佐藤さんは高校を退学することを前提に寮から脱走を決意します。脱走先は地元の北海道ですが、当時は飛行機でしか帰る手段がありません。高校生にとって飛行機代はとても高いものでした。飛行機のチケットを買うためにどうするか。佐藤さんの出した結論は、自分が今まで一番大事にしていた漫画を売ってお金に換えることでした。自分の一番大切なものを売ってまでも、その場から逃げ出したいという気持ちが勝っていたからです。なんとか脱走をして北海道に帰ったものの両親からはもっと頑張るように怒られ東京の学校に戻ります。

しかし、戻っても自分の気持ちが晴れるわけではないので、高校2年生までに計3回寮を脱走して北海道に帰りました。しかし、3回目の脱走のときに、お母さんが怒るのではなく泣いている姿を見たときに考えが変わります。自分のことを応援してくれている人に対して、自分は迷惑をかけているだけだと思い、応援してくれている人のために自分はもっと頑張らないといけないと心に誓い東京に戻りました。

それでも佐藤さんにはもう一つの不安がありました。それは一緒に練習をしてきた高校の仲間たちが、脱走を繰り返す佐藤さんを受け入れてくれるかということでした。そうした不安はありましたが、戻ったときには仲間たちも佐藤さんのことを受け入れてくれました。それにとても感謝した佐藤さんは、絶対に結果で恩返しをするという決意を持ち、つらい練習にも耐え続けることで、高校3年生のときにインターハイで優勝することができました。そのときに泣いて喜んでいるお母さんの姿を見て、「誰かのために頑張ることが自分には必要なんだ」と佐藤さんは確信しました。その結果としてオリンピックに出場し、メダルを獲得することもできました。