苦手だったバタフライで、「オリンピック出場」という夢と出会う

加藤さんの水泳との出会いは、生後6か月です。お母さんと一緒にベビースイミングに通い始めたそうです。その後、3歳からは1人でスイミングスクールに通い、クロール・背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライの練習を重ねました。この4種目を50mずつ、合計200mを泳ぐ個人メドレーの標準記録を小学校2年生で達成した加藤さんは、選手クラスに上がりました。選手クラスになってからは、週6日スイミングスクールに通いましたが、加藤さんは泳ぐことが好きだったので、毎日楽しく練習していたそうです。日々練習を重ね、記録を伸ばしていった加藤さんは、小学校4年生になってクロール・平泳ぎで全国大会に出場しました。

一方でこの頃、バタフライが一番苦手で、バタフライは標準記録をクリアすることがなかなかできませんでした。そんな加藤さんに当時の水泳のコーチが、「一度バタフライで試合に出てみないか?」と声をかけてくれたそうです。加藤さんは、チャレンジしてみることに決めました。試合に出てみた結果、見事優勝することができました。小学校5年生で出場したバタフライの全国大会でも優勝し、ずっと練習を遠ざけていたバタフライで結果を出すことができた加藤さんは、得意なことだけではなく、苦手なことにもチャレンジする大切さを学びました。このバタフライの全国大会の優勝をきっかけに加藤さんに夢ができました。「オリンピックに出場すること」です。

自己ベストを更新できず苦しい日々、助けてくれた母の言葉

順調に記録を更新できた小学生の頃とは違い、中学生の時は記録を更新できないこともありました。

高校生では、身長や体形の変化なども重なり、なかなか自己ベストを更新できず、3年間記録の伸び悩みが続きました。「どうしてこんなに練習を頑張っているのに、中学3年生の自己ベストを超えられないのだろう。」と、加藤さんは毎日苦しんだそうです。

そんな苦しい日々が続いた時、今までお母さんに心配をかけたくなくて、相談したことがなかったのですが、初めて自分の辛い気持ちをお母さんに打ち明けたそうです。

せっかく持ち続けてきた夢をあきらめるのかと怒られると思っていた加藤さんでしたが、お母さんは「辛かったら、やめてもいいんだよ。あなたが自分で考えて出した結論なら、やめてもいいんだよ。」と優しく声をかけてくれました。

その一言で、辛いこともあったけど、ここまで楽しく続けられてきた水泳をここでやめてしまっても本当によいのか、改めて考えました。やめたい気持ちがある一方、心のどこかで「やっぱりオリンピックに出場したい」という気持ちがあった加藤さんは、水泳を続けて、夢をかなえることを選択したのです。