※お寄せいただいた質問の中から数問となります。ご了承ください。
そうですね、昔ながらの漬物、夏だったらぬか漬け、冬だったら白菜漬けとか、そのほかにもいろいろありますけども、まずお漬け物というのはいいですよね。それでいて、何もなかったら、味噌も本当にいいお供になります。まず食べ飽きないようなものが第一にあって、他のおかずは、それプラス、その時々のサンマとか、冬のおでんとかがたまにあればいい。ごはんをおいしく食べられるように少し塩気のあるつくだ煮、とかですね。
それもね、ひと口でごはんと漬物を一緒くたにするのではなくて、その残り香でごはんを食べるというようなことかな、と。
まず「握ったけど崩れる」というのは、握り方以前に、炊き上がってすぐのごはんを握っていないのではないかなと思います。炊き上がったところを握るのであれば、ふんわり握っても崩れることはないと思うんですよ。でも、熱々のごはんは手で直接握るのは無理だから、固く絞ったさらしのお布巾で、ちょっと手に添えておいて、軽くまとめるということですね。
お味噌汁が好きでないというのは、なんか調理の中で原因があるんじゃないかと私は思いますね。だから、まず、お味噌そのものがいいものを使うこと……いいものと言っても「昔ながらの伝統的なつくり方をしている」という意味でね。味噌だけでもおいしいところを、さらに出汁を取って入れているとなると、それはおいしくなくなる可能性がありますよね。味噌という自然物は、子どもの方がより一層、それを受け入れて、おいしく感じるものだと思うから。人工的なものを加えると、本来の味噌汁ではなく、別のものになってしまいますよ。味噌を選ぶところから、もう一回考えてみてはどうでしょうか。
ウチでは私が決めているわけじゃなく、妻が決めているんですが、今そこにあるもの、というのがまず第一にあります。あとは「食べたい!」というような旬があるもの。「サンマが食べたい」とか、そういうひとつを決める、っていうことですね。
それで、それ以外に別に何もなくてもかまわないんです。それこそ具だくさんの味噌汁で全部バランスが取れているということですから。おかずは楽しみのためにつくるというのが大事で、最初にメインディッシュを何つくろうというところから考えると、それこそ、もう毎日悩んでしまう。それはシェフが悩んだらいいんであって、家庭料理をつくる人が悩む必要ないんですよ。
おかずをたくさんつくらないことですね。おかずをたくさんつくると、それこそ「ごはんとおかずを交互に食べなさい」って言ったって、おかずがいっぱいあったらごはんは食べなくっても良くなるんですよ。必ずしもごはんがほしくなるようなおかずばっかりではないわけで、お肉ばっかり食べてたっていい。だけども、ちょっとやっぱり味にメリハリがほしい。ごはんがおいしくなるものとかね。だから、ごはんだけでもおいしいというか、おなか空かせて、おいしいごはんが炊き上がったら、まず、ごはんだけでいいんですよ。ちょっと頑張りすぎているんじゃないか、という気がしますけどね。
私はね、数回ぐらいはつくったことがあるかもしれないけど、基本的には妻がつくってくれていました。私との違いというのは、私がつくったとしても、子どもの方は母親がつくったお弁当か、私がつくったお弁当か、というのはちゃんと見極めると思います。子どものために何かするって言っても、私の方が無愛想になるかもしれないですね。そんなに子どものため、っていうようなことを考えない。自分がおいしいと思うものを子どももおいしいと思う、っていうふうに考えてしまいますね。
それは、きっちりと味をつけすぎないことですね。家庭料理は、どちらかというとぼんやりでいいと思う。そして、自分が物足りなければ、味噌汁に味噌をそえる、あるいは醤油を垂らして、あるいはバターを落としたりして、食べたっていいわけですよね。だから完全に誰かの好みに合わすということよりも、ぼんやりさせといて、おのおの、少しプラスしたりあるいはマイナスしたり、卵がいる人いらない人という具合にして、ほぼ食べる人の側が自分で補ったり引いたりされたらいいんじゃない、って思いますけど。
まあ、いずれにしたって、そんなん全部の家族、ちっちゃい子とおじいちゃんと運動してたお兄ちゃんと、みんな同じじゃないわけだから、それは食べるっていう現場、食卓やテーブルの周りで、みんなそれぞれちょっと手を加えるということでいいと思います。そこまでお母さんの責任じゃなくて。そうするとみんな自分で食事に参加することにもなるから。食事に参加するということは生きる力なんですよ。