ごはんの輪
お米の生産
自然の力で育ったお米本来の
うまみを
たくさんの人に
味わってほしい。
池内 桃子さん
農業を始めて10年目。料理の世界で活躍するなか、あることを転機に滋賀県東近江市の実家、池内農園で農薬・肥料を一切使用しない農法での米づくりを開始。農林水産省が推進する農業女子プロジェクトへの参加の他、2018年、滋賀県内で農業に携わる女性を応援する"しが農業女子100人プロジェクト"の立ち上げメンバーとして活動をスタート。生産者と消費者のつながりの場を増やすべく現在もプロジェクトや自身のSNSを通して、米づくりを中心とした農業の魅力を伝え続けている。
※本記事の内容は、取材日時点の情報です。
米づくりとの出会い
農家生まれ農家育ちの私にとって、農業は身近なものでありながら、実はずっと避けてきたものでもありました。農作業に懸命に励む母をそばで見ていて、「農業はとにかく大変。生産者には絶対なりたくない」と思っていたんです。その気持ちが変わったのはボランティア活動のために留学した時。帰国後の進路について考えていた私は、留学の夢を応援してくれていた母に恩返しがしたいと、農業に携わる仕事に就く決意をしました。
しかしこの時はまだ生産者になる覚悟が出来ず、まずは料理の道へ進むことに。この選択が私を農家の道へと近づけてくれました。実際にフードコディネーターとしての活動を始めたころ、私の料理を食べた人たちに聞かれたのは、味つけだけではなく素材はどこで採れたものか、どうやって育てられたものなのかということでした。
まさか素材のことを聞かれると思っていなかった私は、食べる側の食への意識の高さに驚きました。一方、作る側の私といえば農園で育ったにもかかわらず「無農薬」ということだけしか答えられませんでした。本当においしい料理を作るには、素材が出来るまでの背景をもっと知るべきなのではないか。そう考えるようになり、大変だろうと承知のうえで、母のもとで一から農業を学ぶことを決意しました。
農業生活を開始
ずっと避けてきた農業をついに学び始めたのですが、想像以上に分からないことだらけ。初めは言われたことをこなすのに精一杯でした。池内農園では自然を尊重し、自然に順応した育て方を徹底しているため、農薬・肥料を一切使用しません。また、種籾(たねもみ)も自家採種。外部から購入するのではなく、農園内で育て採取し続けてきた"こだわりの種籾"から育てているため安全で栄養価が高く、お米一粒一粒にしっかりとした味わいがあります。
その一方で、持続させるのは非常に困難。例えば除草剤を使わないため雑草が生えやすく、除草作業ひとつにも時間と労力が大幅にかかってしまうのです。ここまで大変なことにもかかわらず、一切妥協することなく頑張り続けてきた母の凄さに、実際に農業に触れてみて改めて気づかされました。
母に少しでも追いつきたい。その一心で私がずっと心がけているのは田んぼを美しく保つこと。畦草をひとつ残さず綺麗に刈り、田んぼにゴミが落ちていたら拾う。ほんの些細なことかもしれませんが、こうした一つひとつのこだわりの積み重ねがお米のおいしさを最大限に引き出してくれています。
池内さんのつながりの輪
農業の奥深さと同時に大変さを知るにつれ、気になったのは他の人たちはどうしているのかということ。自分と同じ世代の農家さんたちはどんな思いでこの世界に飛び込んだのか聞いてみたくなりました。実際にみなさんのもとを訪ねると、農家になるまでの経緯やこれからの目標など想像以上にさまざまな考え方があり、話をするたびにたくさんの刺激を受けました。
こうして何度か集まるうちに、女性が持つ感性を活かして農業の魅力をもっと伝えていこう、仲間をもっと増やしていこうと、数名で"しが農業女子"100人プロジェクトを立ち上げることに。メンバーとは、顔を合わせると除草の方法や販路など専門的な話につい熱くなってしまいますが、それ以外にも友だちと普段会話をするような感覚で「農地で履けるおしゃれな長靴」など農業女子ファッションの話で盛り上がったり、おいしいレストランの情報を交換し合うなど、素材のおいしさにこだわる仲間ならではの話をすることも。
みんながあらゆる方向にアンテナを張っているのを感じると刺激になりますし、何より田んぼで一人作業をしている時、みんなもどこかで頑張っていると思うと、とても励みになっています。
これからの米づくりに向かって
農業を始めたばかりのころは、すべてにおいて効率化ばかりを考えていました。でもいま一番感じているのは、母が築いてきた農園も自然農法を貫き進化させる信念も守り続けていきたいということ。そのためには、これからの農業を支える生産者の仲間や、そこから生まれるお米のおいしさを理解してくださる農園のファン、その両方を増やしていきたいと考えています。
お米って、普段何気なく食べることが多いですよね。でも、銘柄はもちろん、一つひとつの農園のこだわりの違いを知りながら食べることで、食べることをもっと楽しんでほしい。お米がほんとうの"ご馳走"になれば、世の中の食生活はもっと豊かになるはずです。
そしてもっと多くの方に、こうしたものづくりの現場をぜひ一度見てほしい。そこから「私も仲間に」と生産者に加わってくださる人が一人でも増えれば嬉しいと思っています。こだわりのあるお米づくりをする人が増え、それを愛し支えてくださる人が増えていく。そんな風にみんなでお米づくりに関わっていく未来が私の願いです。農業を始める前の自分に教えてあげたいですね。「お米って思っている以上に奥深くて、おいしさがつまった芸術作品」なんだということを。
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お米の研究
「ごはんのおいしさ」
とは何なのか。
根源的な疑問を突き詰め、
その原理原則を追究する。
辻井 良政先生
1974年兵庫生まれ。島根大学大学院農学研究科を修了し、研究員として食品メーカーへ就職。東京農業大学と共同研究を行う傍ら、論文を執筆し博士号を取得する。2014年に東京農業大学 准教授、2018年には教授に就任し、ごはんのおいしさの原理原則を解明するべくチャレンジを続けている。専門分野は食品化学。
※本記事の内容は、取材日時点の情報です。
「おいしいごはん」って何だろう?
先生は、ごはんのおいしさについて
研究されていますが、
そもそも「おいしい」とは
定義できるものなのでしょうか。
ごはんのおいしさを構成する要素には、甘み、粘り、硬さ、粒の大きさ、香りなどがありますが、「おいしい」とはとても主観的で曖昧な感覚なので、一つに定義づけすることは難しいですね。私がおいしいと感じるごはんを、誰もがおいしいと感じる訳ではありませんから。
人は食べ慣れているものをおいしいと感じやすいため、地域差や年齢、食習慣や食経験などの違いによって好みのお米の品種や炊き加減が異なります。さらに、同じ品種でも新米と古米、その年の気候条件によっても差があるので、この品種が、この炊き方が「おいしい」と断定することができないのです。
では、どのようにして
おいしさの研究を進めるのでしょうか。
一つの基準にしているのは、粘りと硬さのバランスが日本人の味覚に一番合うと言われている魚沼産のコシヒカリです。コシヒカリを"おいしいごはんの基本"とし、その成分を分析することで他のお米をコシヒカリに近づけるための育成方法や、コシヒカリとは違った個性を持つブランド米づくりなどさまざまな研究に活用します。
ただし、ごはんの理化学的特性値や含まれる化合物を分析しても「この数値が高いから絶対においしいごはんになる!」といった具体的なメカニズムはまだ分かっていないのが現状です。小さな米粒ひとつの中に、まだまだ知らない秘密が隠れている。その秘密を探り、おいしさを解明することをめざして日々研究しています。
用途に合わせた「おいしさ」をつくる
先生の研究は、
私たちの生活のどんなところに関わっているのですか。
食品や家電メーカーとの商品開発や共同研究を行っています。例えば、コンビニのおにぎりに使うごはんは冷めても固くならないこと。炊飯ジャーで炊くごはんは、炊きたてのときにふっくらとして粘りがあること。さまざまな用途に合わせた「おいしいごはん」を一緒につくっています。
炊飯ジャーを開発するにしても、象印マホービンと他のメーカーでは求めるおいしさは異なるので、各メーカーがおいしいと思うごはん、メーカーとしてめざしたいごはんのおいしさを知ることが開発の第一歩です。
「食べておいしいと感じる」ことが先で、
それが「なぜおいしいのか」を
後から解明していく、ということでしょうか。
そうですね。普通、商品をつくるときは搭載したい機能やスペックを先に決めるのが一般的なのでしょうが、「おいしさ」を追究する調理家電や食品などの場合はその逆。まず、人の視覚・味覚・嗅覚といった五感を用いた官能試験によって、メーカーが求める「おいしいごはん」を提示してもらいます。
それから、粘りや硬さはどの程度か、香りはどうか、そのためにどんな炊き方が適しているか…などさまざまな観点からそのおいしさがどのような要素で構成されているのかを科学的に解明します。
生産者の方と
関わることもあるのでしょうか。
先生もちろん、ごはんのおいしさには品種や産地、栽培方法などが大きく影響するため、現場でのフィールドワークは欠かせません。また、品種改良した稲を農家の方に育ててもらって、育てやすさや収穫量など生の声を伺い、研究に反映しています。
辻井先生のつながりの輪
辻井先生は研究のほか、
農家や研究者をつなげる取り組みもされていますよね。
東京農業大学の"稲・コメ・ごはん部会"ですね。これまで生産者同士や研究者同士など横のつながりはあっても、生産者とメーカー、研究者と流通の方など役割が違う人との交流の機会はなかったので、業界全体の活性化のために2015年に発足しました。
毎年交流会や情報交換会を開催して、私たち研究者が登壇して研究内容を報告するのはもちろん、流通やメーカーの方、おにぎり屋さんを営む経営者などごはんに関わるさまざまな立場の方が、取り組みや工夫、課題などを伝え合っています。他にも、出版社と一緒に子ども向けの絵本をつくって、小さい頃からごはんに親しめるような環境づくりも行っています。
研究をする中で感じる、農業やごはんに関する課題は何ですか?
農業の担い手不足や気候変動などさまざまな課題がありますが、一番は「ごはん離れ」ですね。原因は、家庭内でのパン食や麺食などの選択肢が増えたこと。ひと昔前は、パンはパン屋さん、パスタやラーメンは外食が一般的でしたから。これからは、たくさんの選択肢の中でいかにごはんを選んでもらえるように工夫するかが重要です。
どうすれば米食の需要が増えると思われますか。
家で炊くごはん、コンビニのおにぎり、お弁当につかうごはん、レストランで提供されるごはんなど、食シーンに合わせたおいしさを高めていくこと。また、最近はどの産地、どの品種も質が向上して「おいしさ」が均質化しているため、各ブランドが特色を出して差別化を図り、ごはんの中での選択肢を増やすことも必要でしょう。
お米は日本で唯一自給自足できている主食ですから、ごはんの需要が増えることは、産地が活性化され、日本全体が豊かになることにつながります。そのためにもやはり、ごはんのおいしさの原理原則を解明することが急がれます。とは言え、20年研究していてもまだ分からないことばかりなのですが。
これからの「おいしさ」
今後、研究したいテーマはありますか?
すでに取り組みが始まっているのですが、「そもそもなぜ、ごはんが日本で食べ続けられているのか」というテーマは興味深いですね。日本人は、稲作が伝来した縄文時代には玄米、その後精製するようになって黒米、そして白米と約2千年ものあいだごはんを食べています。これほど長い年月食べ続けられているのは、ごはんの成分と日本人の腸内環境や体質など、何らかの関係があるはずです。
また、ここ数年で玄米の栄養素が見直されていることにも注目しています。今後研究が進めば、"玄米の栄養"と"白米のおいしさ"を兼ね備えたごはんができる日もそう遠くはないでしょう。新しい品種をつくるには長い時間がかかりますが、皆さんがまだ知らないごはんのおいしさへの研究が、水面下で日々続いています。
日本人と米食の歴史、新たな品種への挑戦、そして、私の研究の根本である「ごはんのおいしさ」とは何なのかという疑問に向き合い、日本人にとって大切な米食文化を、食品化学の観点から守りたいと思っています。
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お米の流通
誰がどんな風に
作ったお米なのか。
そのストーリーの中にこそ
おいしさがある。
高橋 隆造さん
1974年生まれ。大学卒業後、2001年に宝石販売会社を起業するが、大学時代に発症したパニック症候群を理由に事業を断念する。その後病気を克服しようと、2009年に友人2人とともに農業法人あっぷふぁーむを設立し、鳥取県日南町で農業を開始。ピーマンと米を栽培する中、農業経営の厳しさから存続の危機に直面し、企業が水田のオーナーになり契約農家が米の栽培を行う「水田オーナーズクラブ」を起業。現在は同社社長として水田オーナーズクラブをメインにお米の流通に関わるさまざまな事業に取り組んでいる。
※本記事の内容は、取材日時点の情報です。
育てる側から伝える側へ
なぜ農業のサプライチェーンという道を
進まれることになったのでしょうか。
私が宝石販売事業を断念しなければならなかったのは、大学時代に発症したパニック症候群に悩んだことがきっかけでした。その当時はまだ理解されにくい病気だったため、原因も解決法も見つけることができずにいたのですが、あるテレビ番組で女優の高木美保さんが農業を通して同じ病気を克服したと話しているのを見て、「自分も農業で病気を克服できるかもしれない」と感じたのです。また、当時国内で食糧自給率の低下が問題視されていたこともあり、自分は農業の道に進むべきなのではと、運命的なものを抱きはじめました。
こうして、一念発起して鳥取県日南町への移住を決意。人口の45%が高齢者という、過疎化が進む町でしたが、町の人たちのパワフルでほがらかな人柄に惹かれ、この地で農業法人あっぷふぁーむを起業し、未経験ながら農業の道を進むことを決めました。
経験のない農業となれば、
困難なことも多かったのではないでしょうか。
まずピーマンの栽培をメインにその一角でお米を育て始めたものの、すべてが手探り状態。栽培に使う資材を一から作るなど、新しいことを覚えるたびに、こんなに手間がかかるのか!と驚きの連続でした。さらに衝撃を受けたのが、農家の収入は栽培している段階ではまったく分からないのが当たり前ということ。というのも、一般的な給与形態とは違って、その月の生産量、作物の質、売れ行き次第で収入は激しく増減します。種植えから懸命に育てた初めての作物の収入は想像をはるかに下回るものでした。農業を経営として成り立たせるのがどれほど大変なことか、自分の手で育てて初めて実感したのです。
また、日南町はきれいな水と栽培に適した土壌に恵まれた山陰屈指の米どころでありながら、高品質米の販売システムが整っておらず、栽培している商品に見合った売上=収入を得られない問題がありました。「農業はこのままで良いのか。何とか変えていきたい」という危機意識から、新しい販売システムを確立させるべく水田オーナーズクラブを立ち上げました。
高橋さんのつながりの輪
水田オーナーズクラブとは
具体的にどのような制度なのでしょうか。
お米の生産者と企業が手を組んで水田を守るオーナー制度です。オーナーとなる企業には、契約を結んだ水田で収穫されたお米を大切な方への贈り物、社員の福利厚生、社会貢献の活動などにご活用いただいています。
会社を立ち上げた当初は旧知の企業に販売するところから始めましたが、自分で想像していた以上に多くの経営者の方々からお喜びの声が届きました。そこで、企業を対象に、自家消費ではなく販促やノベルティー、顧客へのギフト用として利用してもらえないかと考えました。企業にとっては、取引先に対して「環境保全や食への関心が高い企業」というイメージにつなげられる。また生産者にとっては、自分たちの育てたお米を確かなシステムで販売できる。こうして双方にメリットが生み出せる独自のビジネスモデルで、生産者と消費者をつなぐお米のオーナー制度を開始しました。
もちろん初めのうちは「都会から来た若者が妙な話をしている」と、賛同してくれる農家も企業も見つからず、何件もあたっては断られる日々を過ごしました。ところがそんな時、町会議員も務める地元の農家の方が「おもしろい」と声を上げ、企画に協力してくださることに。すると、日南町で何十年も地元農家を営んできた農家さんたちが次々と賛同してくれるようになり、ようやくこの制度の基盤ができていきました。
水田オーナーズクラブを通して
実現したいことはありますか。
この取り組みの中でサプライチェーンとして私たちが忘れてはいけないのは、消費者と生産者をつなぐタッチポイントをつくり、それを継続させていくことです。例えば、商品に同封するお礼の手紙の文面に「低炭素化に取り組んでいます」など具体的な活動を記載するようにしています。こうすることで農家さんの精力的な取り組みをお客さまに知ってもらうことはもちろん、農家さん自身がその活動に継続的に取り組めるよう、モチベーションを維持できる環境づくりも同時にめざしています。
お米作りのチャンスは1年にたった一度。農業のしくみを改善するには最低でも20〜30年という時間がかかるため、急激な変化ではなく、ゆっくりでも確実な取り組みを考え、実行しています。
消費者に伝えたいこと
お米のサプライチェーンという立場から、
消費者に伝えたいことや
知ってほしいことはありますか。
おいしいお米をより多くの人に食べていただくことが私たち流通業者の役目であり、そのためにはブランドのストーリーをしっかりと伝えることが重要だと考えています。ブランドと聞くと、名前そのものに価値があると思われがちですが、本来は誰が、どこで、どんな風に作ったかという背景そのものが最大の価値。そしてその価値を伝える最も効果的な方法はお米の産地を"もう一つの自分の故郷"だと思ってもらうこと。"〇〇産のお米"という感覚で食べていたものが、背景を知ることで「〇〇さんのお米」に変わる。その意識を持つことがお米をおいしく食べるために最も重要なエッセンスなのです。
不思議なことに、お米一つとっても背景が違うと全く感じ方が変わるもの。例えば"スーパーで買ってきたお米"と"自分のおじいちゃんが育てたお米"では、食べるまでのわくわく感、食べる瞬間の期待感が違いますよね。他にもどんな味がするか想像したり、いつもより丁寧に炊いてみたり。そんな風に、食べるまでの過程が味にも影響するのは、人が舌ではなく脳で食べているからだと常々感じています。
農業の未来を見つめて
高橋さんにとって一番おいしいお米とは何ですか。
またそれを多くの人に伝えるために
サプライチェーンはどのような役割を担うのでしょうか。
この仕事を始めてからよく聞かれるのが「どのお米が一番おいしいの?」という質問ですが、実はこの質問にはいつも困ってしまいます。なぜなら答えが「分からない」から。意外かもしれませんが、おいしくないお米はすぐに分かるものの、おいしいお米は一番を決めるのが難しいのです。それほど、市場のレベルが高い証ですね。
私自身、この仕事を通して全国のさまざまな農家さんや経営者の方と関わるようになり、彼らが熱量を注いで作っているお米を見るたびに、自分がその価値をきちんと伝えていかなければならないと強く感じています。農業が正当な利益を得られるしくみづくりはにわかに構築できるものではありませんが、私はこれまで農業に定着してきた販売システムを変え、良いものをきちんと理解してもらえる市場をつくりたい。そのためにサプライチェーンとして一つ一つのブランドがもつストーリーを多くの人にきちんと伝えていきたいです。
農業を始めたばかりの頃、隣の水田を管理しているおばあちゃんに言われていまだに忘れられないのが、「農業はせぬが利益」という言葉。それだけ農業で得られる利益は低い。でもそれを承知のうえで、農作物と懸命に向き合っている農家さんたちを知っているからこそ、今度は自分の力でなんとかしたい、変えたいという思いが湧き上がるのかもしれません。これからも農業が進む先を見つめて、可能性を探り、広く、深くつながりを増やすために動き続けたいと思っています。
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お米の調理
同じお米でも、
炊き方一つで大きく変わる。
象印食堂は、「ごはんの可能性」
を体験できる場所。
象印マホービン 経営企画部
事業推進グループ長
北村 充子さん
2018年10月にオープンした象印食堂において、接客からメニュー開発、セミナーの企画まで広く店舗運営に携わり、『おいしいごはんの炊き方講座』では米飯管理士の資格を生かし講師として活躍。
※象印食堂は大阪難波・なんばスカイオ6階に店舗を構え、圧力IH炊飯ジャー『炎舞炊き』で炊き上げたごはんのおいしさを体験できる飲食店です。2023年には東京駅すぐの「KITTE丸の内」に東京店もオープン。
※本記事の内容は、取材日時点の情報です。
ごはんの味わいを
大きく左右する"炊き方"
農家の方々や研究者、流通の手を通して大切に育てられてきたお米を、家庭でおいしく炊き上げる方法を教えてください。
まず、「おいしいお米」と「おいしく炊くこと」は別物です。というのも、どれほど高級なお米、土壌や気象条件の良い環境で育ったお米でも、炊き方によって食感や風味が損なわれてしまったり、安価なお米でも上手に炊くことで味わいがぐんとよくなったりすることがあるからです。ですから、ご家庭で「どう炊き上げるか」はごはんにとってとても大切な工程なのです。炊き方についてはさまざまな方法がありますが、今回は象印食堂の『おいしいごはんの炊き方講座』でお伝えしている内容をお話ししますね。
皆さんに最初にお伝えしているのは、お米をきちんと計量することです。当たり前のことに思えても、料理に慣れた方は特に、パパッとおおよその計量で済ませてしまいがち。炊飯ジャーは1合なら1合に適した位置に水分量の目盛りを記していますから、正確に計量することで、適切な水分量で炊くことができます。はかりがなくても正しく計量できる方法をお教えしています。
そして、炊き上がったらすばやくフタを開け、底から全体を軽く返してほぐしたらもうさわってはいけません。必要以上に混ぜすぎると、しゃもじに押されてごはん粒がべちゃっとつぶれ、食感も見た目の美しさも損なわれてしまうのです。
お店では象印マホービンの炊飯ジャー
『炎舞炊き』を使っていますよね。
業務用ではなく市販されている家庭用のサイズなので、
数合ずつ何度も炊く必要がありますが、
同じようにされているのでしょうか。
もちろんです。ごはんのおいしさを何よりも大切にしているお店ですから、炊き上がったらすぐにフタを開けられるように、どこにいても炊き上がりメロディーは聞き逃さないですよ(笑)。
きちんと計量すること、さわりすぎないこと。
これならすぐに取り入れられそうですね。
もう一つ、茶碗によそうときにも大切なポイントがあります。皆さん、しゃもじでごはんをすくったら、茶碗の上でしゃもじをくるっと返してよそっていませんか?こうしてしまうと、しゃもじで平らになった面が上部に出て、盛りつけがペタッとしてしまいます。そうではなく、しゃもじにのせたごはんをお茶碗にそっとスライドさせるイメージ。そうすると、ふわっと山型に、米粒をできるだけつぶさずに盛りつけることができます。簡単なので、ぜひ試してみてください。
こうした小さなコツの積み重ねで、ごはんのおいしさは驚くほど変わります。セミナーではさらにお米の洗い方などのポイントをお伝えしながら、実際に炊いて、食べ比べなども行っていますよ。
"主食"から"主役"へ
「炊き方によって味が変わる」とはよく聞きますが、
実際にはなかなか実感する機会がありませんよね。
そうですね。ごはんにこだわったお店は多くありますが、『白米と玄米』や『コシヒカリとあきたこまち』など、種類で違いを出すお店が目立ちます。象印食堂では、炊飯ジャーメーカーとして「炊き方の違い」を実感していただきたいと考え、同じ品種で、炊き方だけを変えた2種類の食感の白米をご用意しています。一つは象印が考えるおいしさの基準である"ふつう"。そしてもう一つは、 "もちもち"か"しゃっきり"。この"もちもち"か"しゃっきり"は、時期によってどちらか片方をご用意しています。
「炊き方だけで、違いを実感できるほど変わるの?」と思われるかもしれませんが、実際に食べた方からは「同じお米とは思えない」「食感も味わいも全然違う!」と驚きの声をいただいています。
また、日本中で栽培されるさまざまなお米の中から新しい味に出合っていただけるように、白米のほかにも"健康応援米"をご用意しています。"健康応援米"は、オリジナルブレンドの玄米や、胚芽が通常の約3倍もある「金のいぶき」など月替わりで品種を変えているので、再来店された際にはきっと新しい味をお楽しみいただけますよ。
象印食堂には
常時3種類のごはんがあるのですね。
全部味見してみたいけれど、
一食で3杯も食べられるでしょうか…。
そうした声にお応えして、お茶碗一杯の量を少なめに設定しました。象印食堂の「基準」は茶碗に半分ほどの約80g。さらに、ちょっとだけ食べてみたいときは遠慮なく「少なめ」をご注文ください。2口ほどの少量をおつぎします。ぜひいろいろ試して、お好みの味を見つけてくださいね。
象印食堂では、なぜそれほど
「ごはんのおいしさ」に
こだわるのでしょう。
『ごはんは日本人の主食』と言っても、疑う人はほとんどいませんよね。ですが、実際に食べるときはおかずが主役という感じがしませんか?こだわりのお米、こだわりの炊き方でふっくら炊き上げたごはんは、本当は食卓の主役になるほどおいしいのです。普段何気なく食べているごはんに、「ごはんって、こんなにおいしいんだ!」と驚きを感じ、ごはんの可能性を発見していただくことがこのお店の役割です。
すべては「おいしいごはん」のために
ごはんを主役として味わっていただくためには、
おかずも重要ですよね。
象印食堂のおかずには、どのようなこだわりがありますか?
和の味つけでごはんに合うことを基本に、旬の食材を味わっていただけるよう四季ごとにメニューを入れ替えています。そして特にこだわっているのは、家庭でも作っていただけるレシピであることです。
通常、外食では「家庭で食べられない特別な味」が
求められるように思いますが、なぜでしょう?
ごはんは、日本人が日常的に口にするもの。ですから象印食堂では、お店でしか味わえない特別なごちそうではなく、毎日食べる、いつでもおいしい食事をめざしました。
象印食堂で使用している食材は、高級なものではなく、スーパーで手に入るものがほとんど。Webサイトで毎月レシピを公開しています。そして、店頭で販売しているお米と象印マホービンの『炎舞炊き』さえあれば、ここで「おいしい!」と感じたごはんを、いつでも味わうことができます。
ご家庭ですぐに作っていただけるように、最近はレシピ動画の公開もはじめました。オープンから2年、「おいしいごはん」をお届けするために、もっといろいろなことに取り組んでいきたいですね。
ごはんやおかずのほかにも、
こだわっていることはありますか?
このお店は商業ビル『なんばスカイオ』の6階にあり、ちょうどエスカレーターを上がったところに入り口があります。そこで、お客さまがエスカレーターを上がって来られるときに、炊きたてのごはんのいい香りが届くように、炊飯ジャーを入り口に近いところに置くようにしました。ここは店内のお客さまからも、スタッフがごはんをよそう姿がよく見える位置です。
まずは嗅覚で炊きたてごはんの「いい香り」を味わい、次に炊飯ジャーを開けたときの湯気や山型に盛ったつややかなごはんで視覚的に「おいしそう」と感じ、さらに食べたときの触覚・味覚で「おいしい!」と実感していただく。こうして多角的に「ごはんのおいしさ」をお届けするようにしています。「おいしい」って、味覚だけではなく、五感で味わう楽しみではないでしょうか。
象印食堂のつながりの輪
「おいしいごはん」のために、
象印食堂の今後の展望を
お聞かせください。
店頭に立っていると、お客さまから本当にいろいろな声をかけていただきます。「このごはんがおいしかった」「こんな食感のごはんを食べてみたい」…。そのどれも、おいしいごはんのための大切なヒントです。その声を、今度は農家や研究者の方にフィードバックしていきたいですね。
実は、象印マホービンとしては継続的に田植えや稲刈りのイベントを行っていますが、象印食堂としてはまだそういったイベントに参加したことがないのです。
お米を実際に育てたり新しいおいしさのための研究に関わったり、取り組みたいことはたくさんあります。もちろん象印マホービンは炊飯ジャーメーカーですから、ごはんをさらにおいしく炊き上げる炊飯ジャーの開発にも、お客さまの声を生かしたいですね。
象印食堂は、炊飯ジャーメーカーである象印マホービンが直にお客さまと触れ合える貴重な場所です。お客さまからの声を、農家や研究者、そして開発といった現場に返し、さらにおいしいごはんをつくるために生かしていく。象印食堂が、そんなしあわせな循環の一部になれるのなら、これ以上うれしいことはありません。
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