6月14日(金)、兵庫県丹波市立北小学校にて、第3回「ZOJIRUSHIユメセンサーキット2013」が開催されました。
夢先生には元なでしこJAPAN選手の川上直子さんを迎え、3,4時間目(5年2組)5,6時間目(5年1組)を使って「夢の教室」の授業が行われました。
まずはウォーミングアップも兼ねて、4チームにわかれての鬼ごっこを行い、心と体をほぐしました。
その後、3つの異なるゲームを実施。時間が経つにつれ、子どもたちの目もどんどん真剣になっていきます。どうすればゲームでの目標を達成することができるのか。作戦タイムでは、子どもたちからいろんなアイデアや活発な意見がでてきました。では、そのアイデアをどう工夫すればよいのか。川上さんも一緒になって考えてくれました。
作戦タイムのかいもあり、最後は見事目標を達成!お互いが協力してクラスが1つになることの大切さを、子どもたちも改めて感じ取れたゲームの時間となりました。
体育館から教室に移動後、トークの時間では、主に、夢先生がこれまでの体験を話したり、子どもたちと一緒に夢について語り合ったりしました。
2歳年上の兄の影響もあり、小学校1年生からサッカーを始めた川上さん。
練習は厳しく、朝練も毎日あり、週末の練習はもちろんのこと、長い休みには合宿続きで、一年中真っ黒に日焼けしていました。
30年前は今とは違い、女の子がサッカーをするということが珍しかったこともあり、やめたいと思ったことは数え切れませんでした。何度も母に「辞めたい」と言いましたが、母は「自分でやりたいと始めたことなのだから卒業まで続けなさい」と辞めさせてくれませんでした。でも、そこで辞めなかったことが、「しんどいことを乗り越えることができた!」という大きな自信につながりました。
中学生になった頃、神戸に女子のクラブチーム(田崎FC)が誕生しました。テストを受けて入団した当時のチームには、中学1年生の川上さんから社会人まで在籍する幅広い年齢層のチームでした。その中には当時の日本代表の選手も在籍していました。日本代表のユニホームに縫いこまれた日の丸を見たとき、「私もあの日の丸がついたユニホームを着るんだ!」と思い、いつか必ず日本代表に選ばれることを夢に、毎日厳しい練習に取り組みました。
クラブチームで順調に成長を続けたときに最初の試練がおとずれました。右ひざの靭帯の怪我で、練習への復帰に1年弱を要してしまいました。その遅れを取り戻そうと練習を本格的に再開したとたんに、今度は左ひざの靭帯の怪我をしてしまいました。この怪我にも1年半を要し、計3年間も満足にサッカーをできず病院とリハビリの繰り返しの苦しい時間を過ごすことになりました。
「もしかして日本代表になるという夢を叶えることはできないのではないか… 」そんな悩みを抱えたときに、友人からもらった1通の手紙。そこに書かれた「神様は試練を乗り超えることができる人にしか試練は与えない。強くなれるチャンスを今もらっているんだから頑張れ!」というメッセージが川上さんの夢への思いを支え続けてくれました。
しかし、練習を頑張っても日本代表になれる保障はありません。何度もくじけそうになりました。それでも再び夢の実現にむかって奮い立たせたものは、怪我をしているときに病院で見た、病気に立ち向かって頑張っている人たちの姿でした。
怪我をしたときは「自分が人生で一番不幸だ」とも思っていました。でも、頑張る人たちのその姿は、自分の怪我なんてたいしたことはない。ここで自分の夢をあきらめてしまうと一生後悔してしまう、と強く思えるほど奮い立たせてくれました。
それからは、人の倍練習することを心がけ、怪我の復帰から3年後、12歳からの夢であった日本代表に選ばれることができました。
自分の夢に向かう途中、誰でも試練の壁にぶつかります。でも、そのときは必ずまわりに助けてくれる人がいます。しかし、最後に壁を乗る越えることができるかどうかは自分次第です。
夢を達成したいと思うなら、その夢に対して自分の中で精一杯努力して欲しい。でも、結果的に夢をかなえられるかどうかは人それぞれわかりません。それよりも大事なことは、自分の中で試練を乗り越えることができたかということです。乗り越えることができたとき、それは一生自分を支えるパワーになり宝になります。だから、みんなにも試練が訪れたときに前を向いて乗り越えれるように頑張ってほしいです。
トークの時間の後半は、子どもたちひとりひとりが夢シートに、自分の夢と、その夢に向けての取り組みを記入後発表しました。
発表後は担任の先生、校長先生にも夢を発表してもらいました。
最後はクラス全員と川上さんとの記念撮影。
子どもたちも先生も90分の夢の時間を存分に楽しむことができました。