9月22日(金)津幡町立英田小学校にて
第10回「ZOJIRUSHIユメセンサーキット2017」が開催されました。
夢先生は池田めぐみさんが務め、
3,4時間目(5年2組)と5,6時間目(5年1組)に「夢の教室」を行いました。
「夢の教室」前半35分はゲームの時間。ゲームが始まる前にはアシスタントの小林さんから水分・塩分補給の大切さについてお話がありました。
ゲームの時間の最初には池田さんからフェンシングの実演があり、初めて見るスピーディな動きに子どもたちは興味津々でした。その後、じゃんけんをしながらタイム内にゴールを目指すゲームや、小林さんから周りの仲間を守るゲームを行いました。はじめからたくさんの意見が飛び交い、なかなか意見がまとまりませんでしたが、クラスで一つの作戦を練って挑んだ結果、最後には小林さんに勝利することができました。ゲームの時間最後には、「チーム一つになって取り組むことは大切。自分の意見だけではなく、仲間の声にも耳を傾けてみようね。」と池田さんからメッセージがありました。
「夢の教室」後半はトークの時間。池田さんから夢を持つことの大切さを教わり、みんなの夢について語り合いました。池田さんは5歳の頃に行われたロサンゼルスオリンピックで、日本の選手団が旗を持って入場する姿に感動し、オリンピックに強い憧れを持ちます。その後小学3年生の頃にはソウルオリンピックをテレビで観戦。かけっこに自信があった池田さんは、陸上選手としてオリンピックに出場することを夢見るようになりました。
中学校入学後は陸上部に入部した池田さん。夢に向かって取り組む毎日の練習はとても楽しく、陸上選手としてどんどん成長しました。練習の成果が出たのは、中学3年生の頃。3種目(高跳び・砲丸投げ、100m走)の選手として出場した、山形県大会と東北大会で見事優勝を飾ることができました。「オリンピック出場も夢ではないはず。」と、モチベーションはさらに向上しました。しかし、大会後に参加した県選抜の合宿では思うように結果が出ず、上達を続ける周りの選手との差は広がるばかり。厳しい現実を突きつけられた池田さんは、この合宿を機に陸上競技を辞めてしまうことになったのです。
夢をあきらめてしまった池田さんでしたが、高校入学時、フェンシング部の顧問から勧誘を受けます。フェンシングにもオリンピックに出るチャンスがあることを知り、池田さんは迷うことなく入部を決意しました。入部後は何もかもがはじめての体験でしたが、日を追うごとにフェンシングの楽しさに惹きつけられ、「オリンピックへの道がどんなに険しくても、この競技ならずっと続けることができるかもしれない。」と感じるようになりました。その後も練習を積み重ね、高校3年生で迎えたインターハイでは4位入賞という結果を残すことができました。着実に結果を残す池田さんのもとにフェンシング強豪の大学からオファーが届き、池田さんはこの大学への進学を希望しました。しかし、家族や担任の先生から「フェンシングでは生活できないよ。」と猛反対を受け、進学を許してもらえませんでした。夢を否定されて悲しみましたが、「夢を叶えるのは私自身。チャレンジしないままの後悔だけは、絶対にしたくない!」と両親や先生を説得し、ついに進学を許してもらうことができました。苦労して実現した大学進学。池田さんは「心配してくれた人のためにも、絶対にオリンピックに出場してやろう!」という強い気持ちで練習に打ち込みました。
練習を続ける池田さんは、22歳の頃に日本代表に選出されました。オリンピック出場へのまたとないチャンスでしたが、代表での練習中、右ひざの靭帯を痛める大けがを負ってしまいます。全治1年と診断され、はじめはまともに歩くこともできませんでした。それでも、「もう少しで夢に手が届きそうだったのだから、リハビリを頑張って復帰すればもう一度代表にも呼ばれるはず。」と、自分を信じ続けました。復帰後に再び日本代表に選出されてから、無我夢中で練習に取り組んだそうです。そして25歳の頃、池田さんはついに念願のアテネオリンピックに出場することができました。夢の舞台は今まで対戦したことのない、本当に強い選手ばかりが揃う大会でした。その中で28位という悔しい結果に終わり、池田さんは「出場することに満足するのではなく、出るからには優勝する」という新しい目標を打ち立てました。しかし新しい目標に向かって練習する中、またしても大きな挫折を経験します。2008年の北京オリンピックの直前に、今度は左ひざの靭帯を痛めてしまったのです。「金メダルを取りたいなんて思うから、こんなに辛い思いをしなければいけないのかな。」と、自分が打ち立てた目標を恨むこともありました。しかし、そんなときに頼りになったのは、フェンシングのチームメイトや池田さんの親友たち。「オリンピックに出れなくたって、友達でいることに変わりはないよ。」「これまでの努力に自信を持って、最後まで楽しんでみようよ。」そんな温かい言葉を聞くうちに池田さんの気持ちも明るくなり、気がつくとリハビリ期間を楽しく過ごすことができていました。「出れたらラッキー。どうせやるなら楽しもう。」と、復帰後の練習も割り切って打ち込みました。その結果、北京オリンピック出場が叶い、新たな夢を叶えるチャンスがやってきました。大会の結果は15位。惜しくも優勝は逃しましたが、前回と比べ大きくステップアップできたのは、支えてくれた周囲への感謝を忘れず、最後まで笑顔で取り組んだ池田さんだからこそでした。トークの時間最後には、「みんなの夢に順位はないよ。それぞれの夢が全部一番なんだ。だから、友達の夢を馬鹿にするのではなく、自分の夢に自信を持って、最後まで頑張るんだよ。」というメッセージが、池田さんから子どもたちに送られました。
村井くん【将来の夢:リハビリの先生】
夢は何度失敗してもチャレンジできるということを知りました。
お母さんのお手伝いなど、今できることから頑張りたい。
坂田さん【将来の夢:化石発掘者】
周りの人のサポートが大切だということを知ることができました。
きのこの化石が好きなので、勉強して詳しくなりたいです。
北嶋くん【将来の夢:サッカー選手】
クラスみんなで協力してクリアできたゲームの時間が、とても楽しかったです。
サッカーの練習をたくさん積み重ねて、技術を高めたいです。
中田さん【将来の夢:調理師】
あきらめない気持ちが大切だということがわかりました。
色んなレシピを考えて、日々できることを探していきたいです。