クラス一丸となって、真剣に取り組もう!

「夢の教室」前半35分はゲームの時間。はじめに、夢先生の前田さんと一緒にバドミントンのラリーにチャレンジ。前田さんのスマッシュの威力を見て、子どもたちからは驚きの声が上がりました。
その後はクラスで1つのチームを結成。アシスタントの法師人さんを相手にボールを使った「だるまさんが転んだ」にチャレンジしました。作戦タイムでは子どもたちからユニークなアイデアが飛び交い、チャレンジを重ねるうちにクラスの結束力も高まっているようでした。
ゲームの時間最後には、前田さんから「失敗しても、みんなで真剣にチャレンジすることは楽しいよね。これからも目標に向かって、がむしゃらに頑張ろう!」とアドバイスがありました。

ゲームの時間のあと、
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

はじめて味わう、勝利の嬉しさ。

「夢の教室」の後半はトークの時間。はじめに前田さんの現役時代の様子が映像で紹介され、オリンピックで活躍する姿に子どもたちから拍手が沸き起こりました。
前田さんがバドミントンを始めたのは、小学1年生の時でした。前田さんのお姉さんがバドミントンを始めたことに影響を受けたそうです。当時は友達とシャトルを打ち合うことが楽しくて、趣味としてバドミントンを楽しんでいました。小学校2年生になる頃には、前田さんは周りの友達と比べてとても背が高くなり、バドミントンでもその身長の高さが有利に働くようになりました。すると初めて出場した大会で3位に入賞することができ、前田さんはこの時はじめて勝つことの嬉しさを実感しました。当時、前田さんは「楽しくバドミントンができればそれでいい。」と、「やらされる」練習は嫌いでした。しかし「勝つためには練習あるのみ。」と、お父さんが練習メニューを考えてくれたり、素振りの練習に付き合ってくれたことで前田さんはめきめき上達。小学4年生には鹿児島県の大会で優勝することができました。大会の規模が大きくなる程、勝つことで得られる満足感は大きくなっていき、またバドミントンの楽しさもそれだけ大きくなるようでした。

新しい環境で、コツコツと積み重ねる自主練習。

中学校に入学した時、前田さんは鹿児島県総合選手権大会で優勝することを目標に掲げました。子どもから大人まで参加するこの大会はとてもレベルが高く、実力のある前田さんにとっても難しい目標でした。それでも、初めて明確な目標を持った前田さんは、自分で考えてトレーニングに取り組むようになり、練習の質もうんと高くなりました。そして、練習の積み重ねのおかげで前田さんは上達を続け、なんと中学3年生の若さで鹿児島県総合選手権大会で優勝することができました。この記録は今も最年少記録として残っているそうです。
鹿児島県には自分より強い選手がいなくなり、もっと強い選手になることを目指す前田さんは、熊本県の名門校へ進学することを決めました。高校の部活は中学時代に全国大会で優勝した選手をはじめ、他にも前田さんより上手な人がたくさん所属するハイレベルな環境。中学時代に鹿児島県で一番になった前田さんも、高校の部活では負けることが増えました。それでも、負けず嫌いだった前田さんは「どうすれば勝てるのだろう、うまくなれるんだろう?」と考え、練習時間外も1人で自主練習を行うようになりました。ランニングや素振り、筋力トレーニングなど、1人でできる練習を思いつく限り積み重ね、次第に周囲のレベルに追いつき、追い抜くことができました。その努力の結果、ダブルスで出場した全国大会で優勝することができました。

夢を叶えるための努力が、応援する仲間を引き寄せる。

高校時代の活躍もあり、前田さんは実業団からのオファーを受けてバドミントン選手になることができました。そして同時に、大きな夢を掲げるようになりました。それは、2008年の北京オリンピックに出場すること。当時のチームには、2004年にアテネオリンピックに出場した先輩が所属し、前田さんにとってとても刺激的な存在でした。その先輩のアドバイスを聞きながら、1つ1つの練習にこだわるようになり、上達を続けました。ある日、前田さんにとって大きな出会いがありました。それはダブルスでタッグを組む末綱聡子さんとの出会いです。絶妙なコンビネーションで勝利を重ねる姿に、いつしか「スエマエ」コンビという愛称がつくようになりました。
その後に参加した全国大会で再び優勝を経験した前田さん。あまりに順調に進む競技人生に、少し油断が生じてしまいました。「結構簡単に優勝できるんだ。」と安堵したことがきっかけで、これまでこだわってきた練習でも、身が入らないことが多くなってしまったのです。スエマエコンビに勝つために研究を続ける対戦相手に翻弄され、公式戦でも敗戦が続きました。「私の考えが甘いせいで・・・。」原因は分かっているのに、気持ちをうまく切り替えられず敗戦の数ばかりが増える状況に、前田さんは戸惑いを隠せませんでした。「もうだめかもしれない、オリンピックの夢は叶えられないかもしれない。」と思い悩む日々が続きました。しかし、そんな辛い期間も前田さんは決して1人ではありませんでした。コンビを組む末綱さんや、家族、友人から「次、頑張ればいいよ!」「また頑張ろう!」と声をかけられ、これまで1人で闘っていたのではないことに気がつきました。気持ちが吹っ切れた前田さんは、「負けて終わりは悔しい!もっと強くなりたい。」と、また自主練習を行いました。この辛い経験を乗り越えたことで、前田さんは精神的にも大きく成長することができました。その結果、スエマエコンビはついに北京オリンピック日本代表を勝ち取り、4位という素晴らしい結果を残すことができました。授業の最後には、仲間と共に成長し努力を継続してきた前田さんから「自分がやりたいことを見つけたら、そのためにできることは何か考えよう。それをコツコツ続けていれば、夢を応援してくれる人がきっと見つかるはず。辛いときに支えになってくれるような、素敵な仲間を見つけるんだよ。」というアドバイスが、子どもたちへ送られました。