アイデアを出し合ってクリアを目指そう!

ゲームの時間

「夢の教室」前半35分はゲームの時間。最初に茂怜羅さんがビーチサッカーの大技オーバーヘッドキックを披露してくれて、子どもたちは大興奮!希望した子どもたちも体験してみて茂怜羅さんの凄さを実感したようでした。
続いてアシスタントさんや担任の先生たちが鬼になって子どもたちを追いかけるゲーム。ボールを持っている人はタッチされてもセーフというオリジナルルールの鬼ごっこです。はじめはみんなの動きがバラバラで、すぐにタッチされてしまいました。しかし、作戦タイムで意見を出し合って、その作戦を実行していくたびにチームワークがよくなり、最後はついに勝つことができました。
ゲームの時間の締めくくりには、茂怜羅さんから一言。「作戦タイムで積極的に意見を出し合っていたのがとてもよかったです。ひとつの目標に向かってコミュニケーションをとりながら力を合わせる経験は、今後の人生で生きてくると思うので、今日のことを忘れずに頑張ろう」というメッセージがありました。

  • ゲームの時間
  • ゲームの時間
  • ゲームの時間

みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!
ゲームの時間のあと、
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました! みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました! みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました! みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

ビーチサッカー漬けの毎日

6歳の時に地元リオデジャネイロのビーチサッカークラブに入った茂怜羅さんは、練習をしたりプロのビーチサッカーリーグを観戦に行ったり、ビーチサッカー漬けの毎日を送っていました。そして10歳の時に抱いた夢が「プロのビーチサッカー選手になりたい」というものでした。

それから4年後の14歳の時、ビーチサッカークラブでプレイしていた茂怜羅さんの元に11人制サッカーのチームから入団テストの招待があり、参加した茂怜羅さんはテストに合格。ビーチサッカーとサッカーチームの両方をかけもちすることになり、週末も関係なく練習の毎日になりました。

そして迎えた17歳。ブラジルでは17歳でプロ契約を結ぶことができますが、ここが茂怜羅さんにとって大きな岐路でした。ビーチサッカーとサッカーの両方のチームに入っている茂怜羅さんは、どちらのプロになるかを選ばなければなりませんでした。家族はメジャースポーツであるサッカーのプロを選んでほしいという意見でしたが、茂怜羅さんは自分の「好き」という気持ちを優先しビーチサッカーを選びました。そうして「ビーチサッカーのプロになりたい」という夢が叶ったのです。その1ヵ月後、茂怜羅さんは早くも憧れていたビーチサッカーのスタジアムにプロとして入ることになりました。

5000人以上の観客が入っているスタジアムは子どもの頃に見た印象とは比べ物にならないほど緊張する場所でした。しかしなんとその大会で優勝!ビーチサッカーを選んでよかったと思った瞬間でした。

トークの時間

家族と離れて新たなチャレンジへ

4年後の20歳の時、茂怜羅さんはドイツのビーチサッカーチームからオファーを受けます。茂怜羅さんは迷いました。なぜなら、家族が遠く離れたドイツに行ってほしくないと反対したからです。しかし茂怜羅さんは、人生には新たなチャレンジをすることが必要だと思い、ドイツ行きを決めました。
ドイツでの暮らしは大変でした。練習が終わったら、掃除も洗濯も食事の準備もすべて自分でやらなければなりません。ブラジルでは家族に頼っていた茂怜羅さんは離れて暮らすことで、初めて家族のありがたさに気づき、大きな感謝の気持ちを抱きました。

1年後、今度は日本のチームから誘いを受けます。茂怜羅さんはそれを引き受けて日本にやってきました。チームの練習に参加した茂怜羅さんは、レベルの低さに驚きました。それもそのはず、日本では、ビーチサッカーはほとんど認知度のないスポーツで、練習環境もよくありませんでした。しかし茂怜羅さんは、選手たちが一生懸命練習に取り組む姿を見て、日本のビーチサッカーのレベル向上に貢献できるように頑張ろうと思いました。とはいえ、言葉も文化もわからない日本での暮らしは、ドイツ以上に大変でした。そんな茂怜羅さんを支えてくれたのは、日本の人たちの優しさでした。食事をしにいった時や病院などで困っていると、必ず周りの誰かが助けてくれたそうです。

そんな人たちに触れて、茂怜羅さんには新しい夢ができました。それは、ビーチサッカーの日本代表になってワールドカップにでること。茂怜羅さんは新しい夢に向かって動き出します。

  • トークの時間
  • トークの時間
  • トークの時間

新しい夢に向かって努力する日々

日本代表になるためには日本国籍の取得が必要ですが、そのためには、5年以上日本に住んでいる、日本語の読み書きができる、日本語をしゃべることができる、等々、たくさんの条件をクリアしなければなりません。それは大変な努力を要するものでした。この時、茂怜羅さんが大切にしたのは、「どんなにつらくても夢をあきらめない!」という気持ちです。茂怜羅さんは近所の子どもたちと一緒にカタカナや漢字を学ぶ塾に行ったり自分でドリルをしたり、一生懸命努力しました。そして試験を受けてから数日後の2012年12月12日に電話がかかってきました。「茂怜羅さん、日本国籍とれました!」その日は、茂怜羅さんにとっていちばん大切な日になりました。

あとは2013年のワールドカップに向かってビーチサッカーを頑張るだけだ!と思っていた2012年のある日の試合中、茂怜羅さんに大変なことが起きます。茂怜羅さんは怪我をしてしまったのです。相手選手に蹴られて足が象のような太さに腫れあがってしまいました。周りのみんなはワールドカップは無理だろうな・・・と思っていたようでした。でも茂怜羅さんは気持ちを切り替えて翌日からもうリハビリを始めます。ボールも触れない退屈で厳しいリハビリの毎日はつらいものでした。そんな時に支えてくれたのは、日本代表の監督ラモス瑠偉さんや周りの仲間たちでした。つらいときに助けてもらう経験をへて、助け合いの大切さを再認識しました。

そしてつらいリハビリを乗り越えた茂怜羅さんは、2013年ワールドカップに出場。夢を叶えることができました。この時の結果は、ベスト8進出。でももっと勝てると思っていた茂怜羅さんは、この結果でも悔しかったそうです。そして今、茂怜羅さんは新しい夢に向かって頑張っています。その夢とは、2019年11月にパラグアイで開催されるビーチサッカーワールドカップでの優勝です。そしてビーチサッカーのことを日本のみんなに知ってもらいたいと茂怜羅さんは考えているそうです。

トークの時間の最後には、茂怜羅さんが伝えたい3つのことを話してくれました。
①「あきらめないこと」つらいときこそあきらめない気持ちを大事にしてほしい。
②「チャレンジすること」わかいうちにいろんなことを経験して、人生を豊かにしてほしい。
③助け合うこと、家族や仲間がいるから自分がいることを忘れないで、助けよう。
この3つを大事にして、夢に向かって頑張ってほしいというメッセージを送ってくれました。

  • 集合写真