みんなで協力し合ってゲームに挑戦!

「夢の教室」前半35分はゲームの時間。まずは、秋本さんがみんなにハードルの腕前を見せてくれました。
高いハードルを一度に5つも乗り越える秋本さんの迫力に、子どもたちからも驚きの声が上がりました。ウォーミングアップの後はクラスで1つのチームになって、順番に拍手を回していくゲームにチャレンジ。
はじめはうまくいきませんでしたが、みんな一緒にアイデアを出し合って、最後には見事クリアすることができました。
ゲームの時間の最後には、秋本さんから「チームメイトのことを思いやることで1つの作戦が生まれたね!これからも協力し合ってチャレンジしよう。」とアドバイスがありました。

みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!
アシスタントの法師人さん

ゲームが始まる前には、アシスタントの法師人美佳(ほうしとみか)さんから
水分・塩分補給の大切さについてお話がありました。

お父さんの影響で陸上の世界へ。

「夢の教室」後半55分はトークの時間。秋本さんのこれまでの体験談を聞いたり、みんなの夢について一緒になって考えました。

秋本さんがはじめて夢を見つけたのは、小学5年生の頃でした。地元の運動会でリレーに出場したお父さんが、相手をごぼう抜きにして優勝した姿がかっこよくて、「自分もいつか陸上選手になりたい」と思ったそうです。はじめて参加した陸上の大会では、100mで14秒台を記録して優勝。6年生でも12秒台を記録して2連覇を達成しました。小学6年間で一度も負けなかった秋本さんは、勝つことの楽しさに気がつき、もっと速く走れるようになることを誓いました。

「できない」から「できる」に変わる喜びが、自分を強くさせる。

秋本さんは、陸上競技への期待を胸に進学しましたが、なんと入学した中学校には、陸上部がありませんでした。しかし、4月の校内大会で入賞すれば翌月の陸上大会に参加できることを知った秋本さんは、ひとまずバスケ部に入部して校内大会に備えることにしました。

迎えた校内大会。陸上以外の競技をトライしていた秋本さんは、いざ走ってみるとこれまでのようなタイム出すことができず、結果は3位でした。翌日、陸上大会参加メンバーの発表で名前を呼ばれず、納得がいかなかった秋本さんは、何度も何度も先生に参加できるようお願いしました。すると先生から、「棒高跳びなら参加枠があるからやってみる?」と提案がありました。「棒高跳びって何・・・?」やったことも、見たこともない競技でしたが、秋本さんは途中でやめるのはかっこ悪いからと、挑戦してみることにしました。しかし、1ヵ月間練習しても成長している実感が得られず、本番はダントツの最下位でした。「勝てないし、つまらない。絶対もうやらない。」と棒高跳び競技を投げ出してしまいました。

翌日からバスケの練習に戻りましたが、基礎練習、体力トレーニング、応援練習ばかりの毎日に嫌気がさして、秋本さんは文句を言いながら練習に参加していました。身体の成長が遅かった秋本さんは、脚がどんどん遅くなって周りの友達にも追い抜かれ、その焦りからか部活仲間のミスにも文句を言うようになりました。ストレスを友達にぶつけるようになり、秋本さんは部活のチームで孤立するようになってしまいました。

すると中学2年のある日から、秋本さんはいじめを受けるようになりました。チームメイトに声をかけても返事をしてくれず、パスが全然回ってこない・・・。ついに学校のクラスメイトにも無視されるようになり、だれとも話すことがない辛い毎日が始まりました。

気がつくと、秋本さんの心はひどく傷ついてしまい、「こうなったのはすべて自分のせいだ。」と、これまでの自分の態度や性格を猛省しました。そして、「自分を変えてみよう!」と気持ちを入れ替えて、つまらないと思うことを積極的に頑張ってみることにしました。「つまらないのは、できないから。できるようになれば、楽しくなるのでは?」そう思った秋本さんは、バスケだけでなく、挫折した棒高跳びも続けることにしました。

いつもより1時間早起きして、基礎練習を毎日毎日続けて、少しずつ、「できない」が「できる」ようになりました。部活では、ポジティブな掛け声でチームメイトを盛り上げようと努め、部活が終わってからは、暗くなるまで棒高跳びの練習に打ち込みました。部活のメンバーもそんな秋本さんの変化に気がつき、居残り練習をしていたある日、背中越しに「頑張れよ!」と声をかけてくれるようになりました。暫くすると部活でもパスが来るようになり、シュートを決めて久しぶりに仲間とハイタッチした時から、自然と無視されることがなくなりました。

全てがふっきれた秋本さんは、中学3年の頃にスタメンを勝ち取り、最後の地区大会では見事優勝することができました。そして、とても大切な思い出を仲間と共有することができました。また、苦手だった棒高跳びも地区予選で優勝し、県大会では7位入賞を勝ち取りました。

大切なのはやめないこと、続けること

高校では棒高跳びを志し、ついに念願の陸上部に入部できました。しかし、秋本さんのもとに更なる試練が訪れました。陸上部では棒高跳びを希望するのは秋本さんがはじめてで、競技用の道具が1つもなかったのです。それから走り幅跳びや三段跳びにトライしましたが、全く結果が出ませんでした。

ある日、監督から「やってほしい競技がある。」と相談がありました。秋本さんにとってはじめての経験で期待感が高まりましたが、提案を受けたのは400Mハードル。「中距離を走るだけでなく、ハードルも飛ばないといけないなんて・・・。」と、はじめは不安でいっぱいでした。監督の期待を感じて挑戦してみましたがうまくいかず、大会では予選敗退が続きました。それでも、秋本さんにとって「できない」を「できる」ようにすることは、お手の物でした。挫折することなく練習を重ね、高校2年では、はじめて県大会で準決勝まで進むことができました。

決勝で惜しくも敗退してしまった秋本さんは、1年後に最後のインターハイ予選を迎えます。「このままじゃ来年も負けて終わる・・・」と、全国レベルを肌で感じるため、東北大会を観戦することにしました。満員の競技場。400Mの決勝では、選手の身体の大きさや雰囲気に圧倒されて、オリンピックさながらの大会の様子に驚きの連続でした。

東北大会で刺激を受けた秋本さんは、練習の質を改めることを決めました。「何を・どのくらい」にこだわって、なんとなくの練習ではなく、目的意識を持って1つ1つのメニュー量を調整しました。その努力が実り、最後の大会では、地区予選で優勝し県大会決勝で2位。そして東北大会決勝でも6位入賞し、見事全国大会出場の切符を勝ち取ることができました。

秋本さんは、大学に入っても、実業団に入っても、決して諦めず練習を続けて、ついに「プロの陸上選手になる」という夢を叶えることができました。引退後は、スプリントコーチとしてアスリートに走り方を教えて回っているそうです。

トークの時間の最後には、秋本さんから「成功したら楽しいと思える人が、夢を叶えられると思います。できないうちは楽しくないけれど、成功したときの達成感を目指して、努力を積み重ねる経験を沢山してね。」というメッセージが子どもたちに送られました。