

授業のはじめに画面の向こう側の上村さん、アシスタントの式田さんと一緒にゲームをして盛り上がった後は、
水分塩分補給の大切さについて勉強しました。
できなかったことができるようになる喜びを求めて
上村さんが体操を始めたのは、小学2年生の頃でした。鉄棒が大好きで、休み時間のたびにいつも遊んでいた姿を見て、校長先生が体操競技を勧めてくれたそうです。
当初は、あそびの延長のような感覚で体操を楽しんでいました。最初から難しい技ができたのではなく、倒立、バク転、宙返り・・・など、できなかった技が少しずつできるようになる達成感が楽しくて、4年生になるまでの間は毎週3-4日2時間の練習に取り組みました。

オリンピックへの強い気持ちを胸に、練習に取り組む毎日
上村さんが5年生の頃、アトランタオリンピックの代表選考会で一緒に練習している先輩がオリンピックの代表に選ばれました。選考会を観戦していた上村さんは、身近な先輩が日本を代表する選手になったことがうらやましくて、「いつか私も選ばれるような選手になりたい。」と思い、オリンピックの舞台を夢見るようになりました。それからは、週6日4-5時間の練習を繰り返し、夢に向かって一直線の毎日を過ごし始めました。
上村さんはまだ年齢を満たさないため、4年後の次のオリンピックには出場できません。出場できるのは、さらに4年後の2004年。上村さんにとっては、年齢面から最初で最後のチャンスです。目標が定まり、週7日間、練習に取り組むようになりました。友達や家族と過ごす時間もありませんでしたが、「なんとしてでもオリンピックに出る!」という強い気持ちで練習に取り組みました。そんな練習が身を結び、上村さんはナショナル選手(12名が選ばれる強化選手)に選ばれました。国際大会を経験できる貴重な機会です。そこでは、自分の課題だけでなく、外国の選手のしなやかさや美しさが刺激になり、さらにモチベーションを高めることができました。
みんなのエールを胸に、度重なる挫折を乗り越える
しかし、上村さんのもとに大きな壁が立ちはだかりました。練習中に怪我を負ってしまったのです。段違い平行棒の練習中に、高さのある鉄棒から落ちてしまい、顔を強打しました。ケガの恐怖心から「辞めたいな・・・」と思うこともありました。練習できない期間が2-3週間。もどかしさを感じていましたが、「怪我治ったら、また一緒に頑張ろうよ」と、いつもの練習仲間が励ましてくれたおかげで、上村さんも前向きの気持ちになることができました。怪我をしていてもできることはたくさんあることに気がつき、スクワットや懸垂など、上村さんは今できることを頑張ろうと誓いました。周りの支えや応援があったからこそ、もう少し続けてみようという前向きの気持ちになることができたのです。
2003年、世界選手権で団体12位以内に入れば、日本は翌年の本戦に出場することができます。上村さんは残念ながら国内7位に終わり、団体メンバーに入ることできませんでした。個人競技の選考会でも3位に終わり、翌年のオリンピックに出場できない結果となりました。夢をかなえることができなかった上村さんは、体操競技を諦めかけていましたが、当時のコーチや仲間たちが「できるできる!まだチャンスはあるよ!」「みきが体操しているところはかっこいいから、もう少し続けてよ!」と励ましてくれました。「そうだ。体操が大好きなら、今やめなくてもいい。応援してくれている人ために頑張ろう」と、上村さんはまたしてもみんなに支えられて、前向きの気持ちになることができました。
「日本で1番になる」という新しい目標を見つけ、再びコツコツと練習を続けました。そして2007年、上村さんは団体競技のメンバーに選出され、世界選手権で見事12位以内に入ることができました。翌年の代表選考会でも6名の中に選ばれ、ついにオリンピック出場の夢を叶えることができました。
「夢の教室」最後には、「怪我、失敗など挫折がたくさんあったけど、周りの友達や仲間の支えがあったからこそ乗り越えられたんだ。みんなも苦しいときは、一人じゃないってことを忘れないでほしい。あきらめずに、コツコツと努力を積み重ねようね」と上村さんから子どもたちへメッセージが送られました。
Uさん
【将来の夢:ピアニスト】
周りの人の支えがあれば、苦しいことも乗り越えられるということを知りました。
毎日の練習で、指の耐久力を上げたいです。