みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!
アシスタントの武田さん

授業のはじめに画面の向こう側の飯尾さんやアシスタントの安永さん、野田さんと
一緒にゲームをして盛り上がった後は、水分塩分補給の大切さについて勉強しました。

5歳から自分の夢は「サッカー選手」になること

飯尾さんがサッカーに出会ったのは5歳の時でした。幼稚園で週に1回あるサッカーの練習日が本当に楽しみでした。幼稚園の卒園時に将来の夢は「サッカー選手になること」と書いたそうです。飯尾さんが5歳のころはJリーグもまだ始まっていない状況でしたが、サッカーをずっと続けたいという気持ちが強かったため、そう書いたそうです。

小学校に入ると地区の少年団のサッカーチームに入り、サッカー漬けの毎日を過ごしていました。飯尾さんが6年生のときにJリーグが開幕しました。ヴェルディとマリノスのゲームをテレビで観て感動し、「将来絶対にヴェルディに入るんだ。」という気持ちがさらに強くなりました。しかし、当時はインターネットもなく、ヴェルディにどうすれば入れるかが全くわかりません。そんなある日、サッカーの本を読んでいると、ヴェルディのジュニアチームのテストがあることを知り参加することに決めました。そのテストには800人の小学6年生が参加していました。合格者8人のとても倍率の高いテストでしたが、飯尾さんは見事その8人に入り合格することができました。

初めてサッカーが嫌いになった中学生のとき

テストに受かると思っていなかった飯尾さんは、「サッカー選手になれるんだ」という夢がかなったような感覚になりました。しかし、ジュニアチームの練習に初めて参加したとき、飯尾さんの前には厳しい現実がありました。100倍の倍率で受かったジュニアチームでしたが、先生はCチームの所属でした。つまり三軍です。そのCチームの練習でも自分が全く通用しない毎日が続きました。「練習に行くのが怖い、ミスするのが怖い」という思いが強くなり、練習に行けない精神状態になってしまいました。飯尾さんが練習に行けない時間はどんどん長くなります。それでも飯尾さんは何もしていないわけではありませんでした。「夢のサッカー選手になるには自分はどうしたらいいのか」という自問自答を続けます。「中学校の部活に入れば、試合にも出れるし、サッカーを楽しくできるのではないか。」と思うこともありました。しかし、飯尾さんは自分に負けたくない気持ちが上回り、再び練習に行くことを決断します。

練習に参加するだけでは夢に近づくことはできません。飯尾さんは自分にルールを作りました。2か月以上休んだのでコーチにも仲間にも信頼されていない状況からの再スタートです。飯尾さんは居残り練習を毎日2時間自分に課しました。そんなある日、一度も話したことが無いAチームの監督とすれ違ったときに、「最近頑張っているな!」という言葉をかけてもらいました。その言葉を言われたときに飯尾さんは救われたと感じました。努力していれば必ず誰かが見てくれているんだと思い、自主練習も中学を卒業するまで続けました。Cチームで試合に徐々に出れるようになり、その後Aチームにも昇格することができ、中学3年生で日本一になることができました。「あきらめなくて本当によかった。あのとき辞めなくて本当によかった。」心からそう思えた瞬間でした。

夢をかなえたその後

飯尾さんはヴェルディの高校生チームであるユースチームに入りました。ユースチームに所属するということは、プロ選手まであと一歩の世界です。全員がプロの選手になるという高いモチベーションを持っています。飯尾さんは体がとても小さかったので、通用しないと感じることもありましたが、体が小さい自分が大きい人にどうすれば勝てるか。ということを常に考えて、できることを最大限努力し続けました。その結果、高校3年生のときについに念願のJリーグの試合に出場することができました。5歳のころからの夢であるサッカー選手になることができました。

「どんなときもあきらめなくて本当によかった。」と心の底から思いました。しかし、飯尾さんは夢をかなえた後に新たな夢をもつことができませんでした。「日本を代表するような有名な選手は常に大きな夢をもっています。しかし、自分にはそれがなかった。夢を高く持つことが出きれば、もしかするともっと成功したかもしれない。夢はかなえることが目標ではなく、夢を持ち続けて、そこに努力を続けていくことがいつになっても一番大事なことなんだ。」というメッセージが飯尾さんから子どもたちに向けて送られました。