みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

授業のはじめに画面の向こう側の荒井さん、アシスタントの小林さんと一緒に
ゲームをして盛り上がった後は、水分塩分補給の大切さについて勉強しました。

夢のきっかけは、小さい頃に見た1枚の写真

「夢の教室」のはじめに、荒井さんが子どもたちに1枚の写真を見せてくれました。
それは、野生のイルカと女性が一緒に泳いでいる美しい写真です。小さい頃から動物が大好きだった荒井さんは、この女性がアーティスティックスイミングの選手であることを知り、「いつか私もこんな体験がしてみたい。」と思うようになりました。

荒井さんは、6歳のころからスイミングクラブに通い、どんどん成長を続けて競泳4種目を泳げるようになりました。そして、小学3年生の頃にアーティスティックスイミングを始めました。しかし、最初に入ったチームは弱くて、どの大会に出ても最下位続きでした。「このチームで続けても、将来オリンピックに出ることができない。」と荒井さんは不安でいっぱいでした。すると、そんな姿を見たお母さんから、「東京の強豪チームに入らない?」と勧められ、荒井さんはチームに入るためのテストを受けることにしました。5年生の時に見事合格しましたが、これまで一緒に練習してきた友達と離れ離れになることが辛く、当時は不安に感じることが多かったそうです。それでも、大好きなアーティスティックスイミングを続けたい気持ちが強く、荒井さんはチャレンジすることを決めました。

トークの時間

新しい環境で、夢が目標に変わる

新しいチームでは、たくさんの環境の変化がありました。まずは練習時間。週5-6回、学校がある日は3時間、学校がない日は7時間と練習量が増えました。そして練習場所。これまでは近所のプールでしたが、新しいチームでは電車で1時間もかかるプールに通うことになりました。そして一番大きな変化は、荒井さんの「努力」です。当時体が硬かった荒井さんでしたが、先生からのアドバイスで毎日お風呂上りに柔軟体操に取り組み、足を頭に上げられるくらい柔らかくなったそうです。そんなたくさんの変化のおかげで荒井さんは成長を重ね、小学6年生の時に出場した大会では団体で2位になることができました。しかし、荒井さんは、チームの実績は日本一なのに、自分の代で優勝できなかったことがとても悔しかったそうです。それから中学へ入学してからも優勝できず、なかなか結果が出ませんでした。

高校を卒業した後、2008年には北京オリンピックが開催され、荒井さんは先輩が活躍する姿を現地で応援していました。夢を叶えている先輩たちの姿を見て、「今度は私が声援を受ける側に立って、活躍したい。」と感じたそうです。年齢的にも、次のロンドンオリンピックが荒井さんにとっては最初で最後のチャンス。これまでぼんやりとしていた夢が、「4年後のオリンピック出場」という具体的な目標に変わりました。

荒井さんは、2009年に日本代表に選ばれました。はじめての世界大会でしたが、結果は5位。毎回3位以内に入っていた日本代表にとっては、あまりいい結果ではありません。前回オリンピックに出場していた頃のメンバーはみんな引退して、新しいチームに生まれ変わったところで、チームとしての経験もまだまだだったそうです。荒井さんは小さい頃から強い日本代表を見て育ったので、少しでもそこに近づこうと必死で練習を続けました。それでも最高順位は4位と、満足のいく結果を残すことができませんでした。

新しい目標を叶えるために「考え方を変える」

2011年には、目標にしているロンドンオリンピックに向けた代表選考会がありました。アーティスティックスイミングは選手生命が短いため、当時24歳だった荒井さんは、競技人生すべてをかけてチャレンジしました。しかし、結果は10位。しかも、ボーダーラインの9位とは、僅か0.1ポイント差でした。夢に手が届かない現実を突きつけられ、荒井さんはこの先どうしていいかわからなくなりました。それでも、荒井さんは「悔しいまま引退したくない。」と思い、「日本代表に復帰すること」という新しい目標に向かって現役を続けることにしました。

ちょうどその頃、競技のルール改訂があり、補欠としてチームに帯同できることになりました。しかし、荒井さんはオリンピック予選までの補欠登録です。チームが出場権を獲得しても、本戦には出場できません。はじめは「自分が出場できないオリンピックのために、1日10時間以上の練習を毎日続けないといけないの?」と感じていた荒井さんでしたが、思い切って考え方を変えてみました。まずは、代表復帰を目指す自分自身のために。補欠だからといって練習をさぼっていては、今の代表選手との差が広がってしまいます。そして、チームのために。みんなが一生懸命練習しているのに、自分ひとりだけ緊張感が足りないと、迷惑をかけてしまいます。荒井さんは「自分自身のため、そしてチームのためにがんばろう。」と心に誓い、練習に励みました。その結果、日本のチームは予選で3位となり、見事ロンドンオリンピック出場権を獲得しました。その時にもらった銅メダルは、オリンピック出場が決まった喜びと、自分が出られないという悔しさが詰まったメダルだそうです。

荒井さんはその後も猛練習を重ね、2012年にはついに代表に復帰して、世界大会で2位になることができました。この銀メダルは、オリンピックに出場できないことが分かっても、決して諦めなかった荒井さんの努力の結晶です。

現役を引退してから、荒井さんはメイクアップアーティストとして選手にメイクを教えはじめ、「日本中の選手にメイクを教えること」を新しい目標に頑張っているそうです。「夢の教室」最後には、荒井さんから「辛いときに落ち込むだけでなくて、考え方を変えてみよう。そして、いま私がそうしたように、みんなも夢を言葉にすれば、周りのみんなが助けてくれたり、応援してくれる。自分の夢に自信を持ってがんばってね。」と子どもたちにメッセージが送られました。

  • 集合写真
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