みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!
みんなで冷たいスポーツドリンクを飲みました!

授業のはじめにアシスタントの久光さんと一緒にクイズで盛り上がった後は
みんなで一緒に水分塩分の大切さについて学びました。

はじめての目標は、「バッジ集め」

授業のはじめには、柴田さんからオリンピックの金メダルが披露され、はじめて本物のメダルを見た子どもたちも興味津々の様子でした。柴田さんは、3歳の時に水泳を始めました。水泳が大好きなお母さんの影響で、一緒にスイミングスクールに通っていたそうです。この頃はまだ夢がありませんでしたが、柴田さんには目標がありました。それは、「バッジ集め」です。スイミングスクールでは進級テストがあり、級が上がるにつれてバッジがもらえます。一緒に通っていた柴田さんのお姉さんが沢山持っていたのがうらやましくて、「私もとにかくたくさん集めたい!」と思うようになりました。

小学2年生のときには、お父さんの転勤でこれまで住んでいた九州を離れ、スイミングスクールを辞めることになりました。柴田さんは、水泳を辞めてみてはじめて、大好きな水泳の存在に気がついたそうです。引っ越してからしばらくすると、近くにスイミングスクールを見つけ、お姉さんと一緒にまた通い始めました。それからは、「ベストタイム更新」という新しい目標を持って頑張りました。

トークの時間

新しい目標を1つ1つ乗り越える

小学4年生のときに、柴田さんはテレビで初めてオリンピックを観戦しました。この大会では、岩崎恭子さんが200m平泳ぎで金メダルを獲得したのを見て、とにかく感動しました。「水泳の一番大きい大会がオリンピックなんだ。いつか出てみたい!」という気持ちが芽生えました。しかし、この頃はまだ徳島の大会でも優勝できず、全国大会なんてまだまだ先の話です。柴田さんは、引き続き「ベストタイム更新」を目標に日々の練習を頑張りました。

小学5年生になる年には、再び転勤でお父さんが徳島を離れることになりました。「なんとかしてお父さんに頑張っている姿を見せてあげたい。」そう感じた柴田さんは、これまでの目標に加えて「全国大会出場」を新たな目標に設定し、一生懸命練習しました。

柴田さんがはじめて全国大会に出場できたのは、小学校6年生のときです。その大会では、予選落ちで決勝に残ることができず、悔しい思いをしました。それでも、柴田さんは周りに負けない167センチという長身を武器に、中学に入っても頑張ろうと心に決めました。

世界の舞台で経験した悔しさを糧に努力する

柴田さんは中学校に入ってからも全国大会を目標に練習を続けました。しかし、出場できたのは、中学2年生のときの1回きり。この大会でも決勝には残ることができず、オリンピック出場という夢になかなか近づくことができない、苦しい期間が続きました。「死ぬ気で頑張るほどではないかな。」と感じてしまうこともありました。それでも、全国大会に出られなかった悔しさが忘れられず、高校入学後は、毎年全国大会に出るために猛練習をしようと決めました。それからは朝と夕方の練習で8,000mずつ、1日で16,000mも泳ぐハードな毎日。その努力が実を結び、柴田さんは全国大会に毎年出場するという目標を達成することができました。さらに、高校1年生のときには、はじめて決勝に残ることができました。

高校3年生のときには、先生から「大学に行って水泳を続けてみたらどう?」と提案がありました。お姉さんや周りの友達が高校までで辞めているのを見ていたので、柴田さんは正直なところ高校を卒業してから水泳を続けることは考えていませんでした。それでも、まだ続けたいのか、やめて違うことをしたいのかについて考えたとき、どうしても水泳を捨てることはできませんでした。柴田さんは、「ただ続けるだけではなく、もっと練習すれば速くなるはず!」と、強い向上心を持って、鹿児島県の名門大学への進学を目指すことを決めました。

志望大学は、全国8位以内が入学の条件でした。全国9位が最高順位だった柴田さんは、「何が何でも8位以内に入る!」と具体的な目標を持つようになり、上位の平均秒数を調べて得意な長距離で勝負することにしました。迎えた全国大会。最初の400mは9位でしたが、ベストタイムを残すことができ、「私の得意な800mはきっといける!」という自信を持って勝負、結果は5位。見事志望大学に入学することができました。

柴田さんはハイレベルな環境で練習を重ね、大学3年生のときに日本代表に選ばれました。はじめての世界大会では、自己記録を更新することができ、充実した楽しい大会になりました。しかし、その後スペインで開催された大きな大会では、自由形3種目に出場しすべて予選落ち。とても悔しい経験をしました。観客席で観戦していた決勝では、北島康介さんが世界新記録を出して金メダルを獲得しました。その姿を見て、世界大会に出ることだけを目標にしていた自分が情けなくなりました。柴田さんは、「来年のオリンピックは、必ず決勝に残ってベストを出す!」と心に誓いました。オリンピックが目前となり、さらにハードな練習が続きましたが、少しでも練習で技術を身につけるため、柴田さんは「マイナス思考」を辞めて取り組みました。その結果、翌年のアテネオリンピックに出場することができ、得意の800mで見事金メダルを獲得することができました。

「夢の教室」の最後には、「少し頑張れば達成できる目標を作って、一つずつクリアしていこう。そして、せっかくの夢だから、好きな気持ちを忘れずに頑張ってね!」と柴田さんから子どもたちにエールが送られました。

  • 集合写真
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