授業のはじめに画面の向こうの夢先生の奥出さん、アシスタントの高田さんと一緒にじゃんけんで盛り上がった後は
みんなで一緒に水分塩分の大切さについて学びました。

負けたからこそ抱いた夢

奥出さんは、2歳の時に水泳を始めました。当初、水は嫌いでしたが、幼少期から続いていた喘息持ちを治すのに良いと言われ水泳を始めました。

6歳からは選手コースへ入り、毎日のように学校終わりに練習をする日々でしたが、そこでのコーチとの出会いが転機となりました。水泳の楽しさを知れたのはもちろん、特に「時間と約束」を守ることを厳しく指導されたこともあり、どんどん自己ベストを更新し、10歳の時には大阪府で一番になることができました。

そして、10歳の時ジュニアオリンピックへ出場することができました。当時は情報がなかったこともあり、「大阪で一番を取れた自分だったら全国でも一番を取れるだろう。」と思っていましたが、結果は下から3番目に終わりました。決勝戦を観客席から見た時に、一位の選手が優勝している姿を見てかっこいいと思いました。それと同時に、「自分と同い年なのになぜ負けたのか。あそこに立ちたい。金メダルが欲しい。」と思い、負けたからこそ、悔しい思いをしたからこそ、ジュニアオリンピックで優勝をして、母親に金メダルを渡すという初めての夢ができました。

挫折を乗り越えるために意識を変える

11歳-13歳の3年間は、水泳をやめたいと思うことがありました。毎日練習へ行きましたが、何を泳いでも、何回泳いでも、自己ベストを更新することができず、周りのライバルは自己ベストを更新する中、自分自身は大阪府で1番だったのが、2番、3番、4番と表彰台に上がれなくなり、勝てない状況が続きましたが、金メダルを母親に渡す夢を抱き続け、あきらめずに続けました。

14歳のとき、父親の転勤で大阪から神奈川へ引っ越したことで、新しい水泳クラブへ入ることになりました。そこでは、もっと速くなるためには、「3D(でも、だけど、だって)」を禁止するように言われました。まずは、3Dを言わないことを意識的に行ったことで、自己ベスト更新し、15歳の時に再びジュニアオリンピックへ出場することができました。

奥出さんは中学を卒業した後、神奈川県で水泳が一番強い高校への進学を決めました。大切な3年間を後悔しないために、水泳に時間をかけられるような環境を選びたかったそうです。週のほとんどを水泳の練習に費やし、1日1万メートルを泳ぐ日々を送ったことで、3年間連続で金メダルを取ることができました。あきらめずに夢を抱き続けることで、つらい時を乗り越えられるし、目標を達成した時は楽しいと思えました。

活躍している人を見ることで夢は抱ける

奥出さんは、高校卒業時に新しい大きな夢を見つけました。それは日本選手権で優勝し、日本代表になることです。大学時代は技術のみでなく、筋力トレーニングや高地トレーニングなどのきついトレーニングを行ったことで21歳のときは2位になり、日本代表にも選出されました。奥出さんの夢は、ここで1番になることです。22歳のときには3位となり、2位と3位もタイムは僅差でしたが、目標を達成できませんでした。先生へ相談した時に、最後は気持ちだと言われたこともあり、奥出さんは精神力を鍛えて23歳の時に見事日本1位になることができました。

楽しいことも、つらいこともあったけれど、あきらめずに水泳を続けて良かったと今でも思えた瞬間でした。人生の中で常に目標をもって取り組んできたからこそ、あきらめずに努力し、成長ができたと感じたそうです。

「夢の教室」最後には、「小さくても、大きくても夢を持ってほしい。夢を持てていない人は知識不足なだけで、夢のある人は活躍している人を見たからこそ夢を抱く。だから、色々なことに興味を持ち、やってみる、見てみることで夢ができるよ。」と奥出さんから子どもたちへメッセージが送られました。