夢はスピードスケートでオリンピック出場

桧野さんは北海道の帯広で育ちました。小学校1年生から取り組んだスポーツはスピードスケートでした。地域的にもスピードスケートが盛んで、桧野さんも地元の少年団に入ります。その後5年生のときの転校を機にクラブチームに移りました。

そのクラブチームは全員がオリンピックを目指すチームで、桧野さんも漠然とではありますが、「いつかは自分もオリンピックに出たい」と思うようになり、1年間で休みが5日間しかなく、朝の3時に起きて練習に行くという厳しい環境でしたが、練習量に比例して記録もグングンあがっていき、桧野さんもこのまま練習を積んでいけば、自分もいつかはオリンピックに出られるのではないか?と思うようになりました。

怪我からの全国大会出場、そしてまた怪我

そんな中学1年生のある日、スケートの練習中に他の人に巻き込まれて転倒してしまい、スケートの刃が左膝に刺さり、500針を縫う大けがをしてしまいました。ある日突然の大けがで、あんなに頑張っていたスケートができなくなったことで、精神的にとても落ち込んでしまい、お見舞いにきてくれた家族や友人にも強くあたってしまうこともあったようです。

退院しても、以前のような頑張る気持ちが持てずスケートからは離れていたのですが、ある日、母親に勧められて以前練習していたスケート場に行く機会がありました。そこで、友達が一生懸命に練習している風景を見て、怪我をしたことで全てのことを否定的に考えるようなっていた自分に対して、今の自分の考え方はよくないと思いなおすきっかけになりました。それまでは人に負けたくないという気持ちだけで練習をしていましたが、敵は人ではなく自分だと思えるようになり、自分のできることをあきらめない。今できることを一生懸命やろうと再び練習に参加するようになり、中学3年生のときにはその成果が出て全国大会に出場することができました。

高校では新しいことにチャレンジしたいと思い陸上部に入部します。スピードスケート同様に練習は厳しかったですが、記録もグングン伸び、これからと思っているときに、またも怪我が桧野さんを襲います。体育の体操の授業で右膝の靭帯を断裂する大怪我をしてしまいました。病院では「もう陸上を続けることは難しい」と宣告されてしまいます。桧野さんはとても落ち込みましたが、それまでに当たり前だったことが当たり前でなくなることを中学高校と2回も経験することで、今できることは、悔いが残らないように今やりきろうと思えるようになったそうです。