お父さんにも教わりゴーカートにチャレンジ!
中嶋さんがはじめてゴーカートに乗ったのは、小学5年生の頃。きっかけは、お父さんの存在でした。当時F1レーサーだったお父さんを応援しにサーキットに行ったり、遊びでゴーカートに乗ったりと、レースがすごく身近な存在だったそうです。また、中嶋さんは当時からとても活発で、野球やサッカーなど運動が大好きでした。授業が終わると早く遊びに行けるよう宿題をすぐ終わらせていたそうです。
しかし、今思い返すと、当時の中嶋さんには明確な夢がありませんでした。レースをやっていたので、なんとなく「将来レースで活躍したいなぁ。」と、ぼんやりと思っていたくらいだそうです。
ぼんやりした「夢」から明確な「目標」に
ゴーカートのカテゴリから、よりレベルの高いF4レースに上がっていくには、いろんな人の協力やスポンサーの協力が必要です。中嶋さんは、そのサポートを受けるためのオーディションを高校2年生で受けましたが、残念ながら初回は落選。中嶋さんにとってはじめての失敗の経験でしたが、うまくいかなかったおかげで、「自分は本当に何になりたいのか」について考えるきっかけになったそうです。
そこで、中嶋さんにとってレーシングドライバーになることが、なんとなく思い描いていた「夢」から、明確な「目標」に変わったそうです。「目標」に変わったことで、「今何をしないといけないのか」を常に考えて練習に励むようになりました。日々の努力が形になり、翌年には再チャレンジとなったオーディションで良い結果を残し、中嶋さんは、ついにF4の世界に足を踏み入れることができました。
失敗した経験と諦めない気持ちを胸に
中嶋さんが18歳でF4に上がってからは、一つ一つの大会で結果を残すことを目標にトライしました。また、将来世界の舞台で活躍するために、英語のスキルを身につけることが必要だと気がつき、苦手だった勉強も「必ずいつか役に立つ!」と一生懸命に取り組んだそうです。そのおかげで、中嶋さんが21歳の頃には海外レースでも良い結果を残すことができて、気がつけばF2カテゴリに昇格することになりました。
目の前の大会を一つ一つクリアしていく、そのために何が必要かを考えて日々努力を重ねることで、中嶋さんは順調にスキルアップを続け、24歳の頃には念願のF1の世界にたどり着きました。小さいころに見つけた夢をかなえることができたのです。しかし、F1の世界では想像よりも厳しい現実が待っていました。世界最高峰の舞台では、さすがの中嶋さんも思うように結果を残すことができず、この状況が続いたことで、レースに出る機会がなくなってしまいました。つまり、レースという中嶋さんにとっての唯一の仕事がなくなってしまったのです。仕事がなくなったことで、中嶋さんは「これから先の人生で何をすべきか」を考えて、新しい目標を探し始めました。当時の中嶋さんはまだ25歳。ドライバーとしてのピークはこれからです。レースをやめることは少しも考えませんでした。そして、2011年からまた日本のレース(スーパーフォーミュラ)の世界に復帰することを決心しました。
復帰すると決めた中嶋さんは、1番になることを目標に再び努力しました。その翌年には、中嶋さんのもとに再び世界の舞台にチャレンジするチャンスが訪れます。24時間を3人チームで走り続ける世界三大大会の1つ「ルマン24時間」に参戦することになったのです。しかし、やはり世界のレベルは高く、チャレンジしてからなんと7年もの間、良い結果が出ませんでした。中には最後までレースをトップで走っていたのに、残り5分で車が故障して敗北したり、レースの途中で背骨を折る大けがを追ったり、数えられない程の悔しい経験をしたそうです。それでも、中嶋さんは過去にF1レースに出られなかった悔しさを思い出し、今回は決してあきらめませんでした。スポンサーや周りの仲間からの絶えない応援も力になり、2018年に見事「ルマン24時間」で初優勝することができました。初めての世界チャンピオンです。そこから3年連続で優勝した中嶋さん。過去の悔しい経験を糧にあきらめないことの大切さを学ぶことができたそうです。
「夢の教室」最後には、中嶋さんから子供たちへ「夢に向かって今、何ができるかを考えよう。そして、一度決めた目標に向かって決してあきらめずに取り組めばきっと夢がかなうから、頑張ろうね!」とメッセージが送られました。
1組の子どもたちの感想
中嶋さんがF1に向けて頑張る姿が、今の自分にも重なりとても参考になりました。
目標を見つけて限界までトライしたいです。