サッカーとの出会い、「オリンピック出場」という夢

小林さんは、小学1年生の時にサッカーを習い始めました。お兄さんがサッカーを習っていて、トロフィーや賞状を持っている姿に憧れたのがきっかけでした。小林さんはサッカーの練習の中で、リフティングの練習が好きでしたが、最初はうまくできず、3回続けるのが精一杯だったそうです。上級生の中には100回以上続けられる人もいたので、「私もできるようになりたい。」と思いつつも、最初から100回を目標にするのは、自分にとってハードルが高いと感じた小林さんは、まず自分が少し頑張ればできそうな5回を目標に設定しました。それができれば10回、15回と少しずつ目標回数を増やしていったそうです。少しずつできる回数が増えていくことが、小林さんのリフティングの練習を続けるモチベーションになりました。

小学6年生で中学生になったらどんな自分になりたいかと考えた小林さんは、「もっとサッカーがうまくなる」、「強くなる」という2つの目標を決めました。その目標を達成するために、小林さんは中学校の部活動ではなく、地域のクラブチームに入りました。小学生の頃の練習は週3回でしたが、クラブチームの練習は週6回で、サッカーに費やす時間が倍増しました。

隣のグラウンドでは、大人の女子サッカーチームが練習していました。いつもその練習風景を見ていた小林さんには憧れていた人がいました。小林さんが中学3年生の時に開催された1996年のアトランタオリンピックの代表選手にその人が選ばれたことを知り、それをきっかけとして「自分もオリンピックに出場したい」という夢ができたそうです。

オリンピック出場に向けて、できないことをできることに

「オリンピックに出場する」という夢をかなえるために、「努力」が必要だと思った小林さんは、クラブチームの全体練習時間外で、「壁当て」という練習を続けたそうです。「壁当て」は、自分が決めた的にボールを当てて、壁に当たって跳ね返ったボールをうまく止められるようにする練習です。最初は自分の思った場所にボールを蹴られなかったり、跳ね返ったボールを止められなかったのですが、毎日コツコツ練習を続けることで、何回かに1回できるようになりました。できない回数の方が多いけれど、小林さんにとっては、たった1回のできた喜びの方が何倍も大きかったそうです。できる回数が増えていくにつれて、壁当ての練習の効果が、サッカーの全体練習の中でも出てきて、活躍できる場面が増え、練習の楽しさが増していきました。

高校生では、大人のクラブチームに入部しました。しかし、周りのチームメイトのレベルも高いため、小林さんはなかなか試合に出場できませんでした。試合に出られたとしても残り時間わずかなタイミングばかりでした。どうして少ない時間しか出場時間が与えられないのか。その原因は、小林さんに体力がなかったことでした。長距離走が苦手だった小林さんは、サッカーコートの周りを走る練習では、いつもチームメイトからかなりの後れを取っていました。

今までは好きなことの練習に時間を割いていましたが、もっと試合で活躍するためには、苦手なものの練習にも時間を割く必要があると思った小林さんは、全体練習の時間外では、走ることに専念しました。自分のコンディションに合わせて走る量を調節しながら、毎日少しでも走るように努めました。そうすることで、チームメイトとの差が少しずつ埋まっていき、一緒に走れるようになりました。自分ができなかったことが、少しずつできるようになっていくのを実感できたことがとてもうれしかったそうです。試合に出場する時間も少しずつ増え、活躍する場面が増えた小林さんの姿を、日本代表の監督が評価し、小林さんは日本代表選手に選ばれました。

小林さんが日本代表選手に選ばれたタイミングは、2000年のシドニーオリンピックの予選大会が間近でした。夢である「オリンピック出場」には、その予選を突破しなければなりませんでしたが、結果は予選敗退で、夢には一歩近づきませんでした。チームメイトの中には、辞めてしまう人もいましたが、それでも小林さんは「あきらめず夢をかなえよう」と改めて決心したそうです。