お米の流通
誰がどんな風に作ったお米なのか。
そのストーリーの中にこそおいしさがある。
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プロフィール
高橋隆造さん
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1974年生まれ。大学卒業後、2001年に宝石販売会社を起業するが、大学時代に発症したパニック症候群を理由に事業を断念する。その後病気を克服しようと、2009年に友人2人とともに農業法人あっぷふぁーむを設立し、鳥取県日南町で農業を開始。ピーマンと米を栽培する中、農業経営の厳しさから存続の危機に直面し、企業が水田のオーナーになり契約農家が米の栽培を行う「水田オーナーズクラブ」を起業。現在は同社社長として水田オーナーズクラブをメインにお米の流通に関わるさまざまな事業に取り組んでいる。
育てる側から伝える側へ
育てる側になって初めて知った農作物を育てる難しさと、農業の現実。
―なぜ農業のサプライチェーンという道を
進まれることになったのでしょうか。高橋さん私が宝石販売事業を断念しなければならなかったのは、大学時代に発症したパニック症候群に悩んだことがきっかけでした。その当時はまだ理解されにくい病気だったため、原因も解決法も見つけることができずにいたのですが、あるテレビ番組で女優の高木美保さんが農業を通して同じ病気を克服したと話しているのを見て、「自分も農業で病気を克服できるかもしれない」と感じたのです。また、当時国内で食糧自給率の低下が問題視されていたこともあり、自分は農業の道に進むべきなのではと、運命的なものを抱きはじめました。こうして、一念発起して鳥取県日南町への移住を決意。人口の45%が高齢者という、過疎化が進む町でしたが、町の人たちのパワフルでほがらかな人柄に惹かれ、この地で農業法人あっぷふぁーむを起業し、未経験ながら農業の道を進むことを決めました。
―経験のない農業となれば、
困難なことも多かったのではないでしょうか。高橋さんまずピーマンの栽培をメインにその一角でお米を育て始めたものの、すべてが手探り状態。栽培に使う資材を一から作るなど、新しいことを覚えるたびに、こんなに手間がかかるのか!と驚きの連続でした。さらに衝撃を受けたのが、農家の収入は栽培している段階ではまったく分からないのが当たり前ということ。というのも、一般的な給与形態とは違って、その月の生産量、作物の質、売れ行き次第で収入は激しく増減します。種植えから懸命に育てた初めての作物の収入は想像をはるかに下回るものでした。農業を経営として成り立たせるのがどれほど大変なことか、自分の手で育てて初めて実感したのです。また、日南町はきれいな水と栽培に適した土壌に恵まれた山陰屈指の米どころでありながら、高品質米の販売システムが整っておらず、栽培している商品に見合った売上=収入を得られない問題がありました。「農業はこのままで良いのか。何とか変えていきたい」という危機意識から、新しい販売システムを確立させるべく水田オーナーズクラブを立ち上げました。
高橋さんのつながりのWA
農業の課題は容易に解決できない。だからこそ継続を意識した取り組みを。
―水田オーナーズクラブとは
具体的にどのような制度なのでしょうか。高橋さんお米の生産者と企業が手を組んで水田を守るオーナー制度です。オーナーとなる企業には、契約を結んだ水田で収穫されたお米を大切な方への贈り物、社員の福利厚生、社会貢献の活動などにご活用いただいています。
会社を立ち上げた当初は旧知の企業に販売するところから始めましたが、自分で想像していた以上に多くの経営者の方々からお喜びの声が届きました。そこで、企業を対象に、自家消費ではなく販促やノベルティー、顧客へのギフト用として利用してもらえないかと考えました。企業にとっては、取引先に対して「環境保全や食への関心が高い企業」というイメージにつなげられる。また生産者にとっては、自分たちの育てたお米を確かなシステムで販売できる。こうして双方にメリットが生み出せる独自のビジネスモデルで、生産者と消費者をつなぐお米のオーナー制度を開始しました。もちろん初めのうちは「都会から来た若者が妙な話をしている」と、賛同してくれる農家も企業も見つからず、何件もあたっては断られる日々を過ごしました。ところがそんな時、町会議員も務める地元の農家の方が「おもしろい」と声を上げ、企画に協力してくださることに。すると、日南町で何十年も地元農家を営んできた農家さんたちが次々と賛同してくれるようになり、ようやくこの制度の基盤ができていきました。
―水田オーナーズクラブを通して
実現したいことはありますか。高橋さんこの取り組みの中でサプライチェーンとして私たちが忘れてはいけないのは、消費者と生産者をつなぐタッチポイントをつくり、それを継続させていくことです。例えば、商品に同封するお礼の手紙の文面に「低炭素化に取り組んでいます」など具体的な活動を記載するようにしています。こうすることで農家さんの精力的な取り組みをお客さまに知ってもらうことはもちろん、農家さん自身がその活動に継続的に取り組めるよう、モチベーションを維持できる環境づくりも同時にめざしています。お米作りのチャンスは1年にたった一度。農業のしくみを改善するには最低でも20〜30年という時間がかかるため、急激な変化ではなく、ゆっくりでも確実な取り組みを考え、実行しています。
消費者に伝えたいこと
人は舌ではなく脳で食べている。
だからこそ"食べ物が持つ価値"を大切に
してほしい。
―お米のサプライチェーンという立場から、
消費者に伝えたいことや知ってほしいことはありますか。高橋さんおいしいお米をより多くの人に食べていただくことが私たち流通業者の役目であり、そのためにはブランドのストーリーをしっかりと伝えることが重要だと考えています。ブランドと聞くと、名前そのものに価値があると思われがちですが、本来は誰が、どこで、どんな風に作ったかという背景そのものが最大の価値。そしてその価値を伝える最も効果的な方法はお米の産地を"もう一つの自分の故郷"だと思ってもらうこと。"〇〇産のお米"という感覚で食べていたものが、背景を知ることで「〇〇さんのお米」に変わる。その意識を持つことがお米をおいしく食べるために最も重要なエッセンスなのです。不思議なことに、お米一つとっても背景が違うと全く感じ方が変わるもの。例えば"スーパーで買ってきたお米"と"自分のおじいちゃんが育てたお米"では、食べるまでのわくわく感、食べる瞬間の期待感が違いますよね。他にもどんな味がするか想像したり、いつもより丁寧に炊いてみたり。そんな風に、食べるまでの過程が味にも影響するのは、人が舌ではなく脳で食べているからだと常々感じています。
農業の未来を見つめて
変わるのを待つのではなく
変えるために動き続けたい。
―高橋さんにとって一番おいしいお米とは何ですか。
またそれを多くの人に伝えるためにサプライチェーンは
どのような役割を担うのでしょうか。高橋さんこの仕事を始めてからよく聞かれるのが「どのお米が一番おいしいの?」という質問ですが、実はこの質問にはいつも困ってしまいます。なぜなら答えが「分からない」から。意外かもしれませんが、おいしくないお米はすぐに分かるものの、おいしいお米は一番を決めるのが難しいのです。それほど、市場のレベルが高い証ですね。私自身、この仕事を通して全国のさまざまな農家さんや経営者の方と関わるようになり、彼らが熱量を注いで作っているお米を見るたびに、自分がその価値をきちんと伝えていかなければならないと強く感じています。農業が正当な利益を得られるしくみづくりはにわかに構築できるものではありませんが、私はこれまで農業に定着してきた販売システムを変え、良いものをきちんと理解してもらえる市場をつくりたい。そのためにサプライチェーンとして一つ一つのブランドがもつストーリーを多くの人にきちんと伝えていきたいです。
農業を始めたばかりの頃、隣の水田を管理しているおばあちゃんに言われていまだに忘れられないのが、「農業はせぬが利益」という言葉。それだけ農業で得られる利益は低い。でもそれを承知のうえで、農作物と懸命に向き合っている農家さんたちを知っているからこそ、今度は自分の力でなんとかしたい、変えたいという思いが湧き上がるのかもしれません。これからも農業が進む先を見つめて、可能性を探り、広く、深くつながりを増やすために動き続けたいと思っています。